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こんにちは!今井です。(あるいは東高時代の思ひ出)

                         昭和60年卒 今井 仁志

 音萌のみなさん、ジトジトと気の滅入る毎日ですがいかがお過ごしでしょうか?
 昭和59年度卒業(たぶん合ってると思うんですが・・<注1>)ホルンの今井仁志と申します。
 1つ上の先輩になる尾崎さんから10日程前に「なんでもええけん文書いて」と電話がありまして、今やっとコンピューターに向かっている次第です。ああ、何を書こうか何も決めないままだらだらと5行も使ってしまった。気を取り直してっ・・。
 まずは自己紹介します。私は東高ブラスバンド部を卒業してもう18年ですか、現在、なぜだかNHK交響楽団で今もなおホルンを吹いております。1つ上の先輩には先ほどの尾崎さんをはじめ、らくさぶろうこと冨永さん等がおられ、その他にもたくさんのアクの強いといいますか、バイタリティーあふれる先輩、同輩、後輩に囲まれて高校生活を過ごしました。いやー、ほんとに楽しかったなぁ。
 新入生歓迎の儀式として思い出深い「まどか食堂」。この間ホントにひさしぶりに行ってみたら、ありました。ちょっと小奇麗になってましたけど。今どき ああいうことやったら、いじめ・虐待とかいって新入部員減るだろうなぁ。でも今となってはセピア色の青春の記憶となってわたくしの脳に刻まれています。<注2>
 あとは「鹿島」。みんな「芸」を持ち寄ってそこで披露する訳ですけど、先輩方の恥も外聞も捨てた芸は、中学校卒業直後の無垢な少年には衝撃的でした。なんかとにかく必死で出し物を練習した記憶があります。<注3>
 もうひとつ衝撃的だったのはソフトボール。2つ上の先輩で、尾花さんと久保さんというソフトに生死を賭けているような2人がいらっしゃって、どちらか がピッチャー、他方がバッターとなった時は、星飛雄馬と花形満の対決のように、竜虎が炎を隔てて対峙しているような雰囲気。すごかったなぁ。尾花さん久 保さんお元気ですか?<注4>
 すごくローカルなというか、私の代の前後3、4年の方にしか分からない話題になってしまいました。読み返してみるとレクリエーションの思い出ばかり書いてますね。
 まぁ、とにかく楽しくてしょうがなかったということです。
 音萌といえば、あれは20才くらいの頃だったと思いますが、第1部の指揮を振らせていただきました。でもやっぱり指揮は難しいですね。身にしみて、それ以来指揮台には1度も立っていません。
 吹く方にも参加しましたが、何の曲だったかなぁ「魔弾の射手」序曲だったか、1番を受け持たせてもらい、冒頭のところのソリでぽろぽろ音を外してしまったことがありました。でもよくは覚えて無いです。
 プロでやっていく秘訣の1つに「都合の悪いことは忘れる」というのがあります。・・まぁ、だからというわけでもないんですけど。
 最後にこの場を借りて自分の宣伝をさせていただきたいと思います。
 N響は毎月約6回の定期演奏会以外にも各地で公演しています。その1つに松山公演があります。
 大都市はだいたい毎年行きますが、中都市で毎年公演があるのは松山くらいではないかと思います。みなさんお暇でしたら、いや是非来て下さい。
 足を運ぶのが大変だという方にお薦めなのは、毎週日曜日の夜9時からNHK教育テレビで放送されている「N響アワー」です。毎回視聴率1%台という、民放なら既に打ち切られていそうな番組です。目指せ2%台!<注5>
 また、今年の冬の愛媛交響楽団の定期演奏会に、私がR・シュトラウスのコンチェルト(第1番の方です)のソリストとして出演することになってしまいました。恥を覚悟でがんばります。みなさん興味があったら、いや是非来て下さい。
 支離滅裂な文になってしまいましたが、尾崎さん、これでいいでしょうか?
                                (尾崎注:ブラヴィッシモ!)


 100号にふさわしい大物の投稿です。なんだか<注>っていっぱいついてますね。クリックしてみよう。





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