INDEX   3 4 5 6 7 8 9



「 こんにちは!今井です。(あるいは東高時代の思ひ出)」をより楽しむための若者向けの注釈

                                  昭和59年卒 尾崎 光芳

 今井君の原稿を読んで、あの頃が恰も昨日のことのように脳裏に浮かびました。・・いい時代だったな。
 でも、本人も書いていますが、若い会員たちには何のことだか分からないのでは?折角今井が忙しい合間を縫って書いたのに、軽く読み飛ばされたら原稿を頼んだ者としては申し訳が立たない。と勝手に解釈し、あくまで若者向けに注釈を書くことにしました。若向けゆえ、字も小さいです。できれば、今井君の原稿と対照して或いはしながら読んで下さい。面白さ倍増・・・はしないか。   

<注1> 卒業年次について
 合ってますが、普通は年度で云わず、60年卒といいます。  ←戻る

<注2> 音楽部(現 吹奏楽部)の新歓行事について
 実は本人の記憶違いで、今井クンの年の新歓行事は、今はもう店を畳んだ「おかや食堂」の「あっさりソバ」でした。
 オリジナルメニューの「あっさりソバ」は「うどんの出汁に中華麺」の、文字どおり「あっさり味の中華ソバ」ですが、そこに先輩による「愛のトッピング」(考えつくあらゆる香辛料、調味料、爪楊枝(?)など)がてんこ盛りになるのです。新入生歓迎の気持ちが昂るあまり、それはもうやりたい放題でした。新入生は「下克上」なんて夢想だにできず、「歓迎」されるがままでした。この年がオールド・ネモラーには懐かしい、伝統の「おかや食堂」で新歓をやった最後の年でした。・・いい時代だったな。
 因みに私が新入生の時は・・完食しましたよ。汁も、もちろん先輩方の「愛のトッピング」も残さず。先輩たちは少しびっくりしてました。エッヘン。・・翌朝のトイレが大変でしたが。
 無論、ご存じ「まどか食堂」もちゃんと別にあって、よく食べに行ってました。特に夏のかき氷とかね。夏休みになると音萌の人たちが沢山出入りするようになる(いや普段でも結構お見かけしましたねえ)ため、よく奢ってもらいました。   ←戻る

<注3> 「鹿島」と「芸」と「反省会」について
 GW頃必ずやってた北条鹿島での所謂ピクニック。決して単なる「芸」の披露会ではないです。色々な集団レクを、OB有志も含めて80人以上の集団でやってました。当時の吹奏楽部(その頃はコーラスと合わせて「音楽部」でした。活動は別々でしたが。)は極めて大所帯だったので、みんなに名前を覚えてもらう重要な機会でした。
 お昼には女子部員手作り(みんな相当朝早くから作ったんだろうなあ)の盛りだくさんのお弁当を囲んだり。・・いい時代だったな。・・今だったら新興宗教の集会と間違えられそう。
 その「芸」というのは当時本当にみんなの前で披露する機会が頻繁にあったのです。「出来ない」とは口が裂けても言えません。全くもってあり得ないことでした。
 当時の練習後の反省会は、全員が毎日交代で進行役になっていたのですが(反省会に出席しないなんて云うこともあり得ませんでした。極端な話、練習はしなくても、反省会には出なきゃいけないくらいの厳粛な集会でした。)、出席を取り、反省事項を促し(これが結構長く続くんだ。みんなマジメだから。)、連絡事項の確認をし、そういうまっとうな反省会が終了すると、やにわに「芸!、芸!、ゲイ!」という「芸コール」が掛かるのです。「一気!、一気!」なんてのが流行る遥か以前のことですよ。そしてその要求に応えて持ち芸を披露することを義務づけられていました。個人芸でも誰かの助けを得ての集団芸でも可でした。後でよく考えたら面白くないことでも、場の雰囲気と勢いでウケると拍手喝采、ウケないとブーイングです。ダメ出しをされたら、即座に「アンコール!、アンコール!」と声がかかり、もっと面白いことを要求されます。・・ま、結局は適当なところで許してもらえはするのですが、場は見事に壊れちゃいますね。
 そうでなくとも何かあるとすぐに「芸コール」が掛かったものです。それは「まっとうな反省タイム」において先輩の厳しい叱責があった(本当にその場の空気がピンと張りつめるほど厳しかった)あとでも例外ではありません。ひとたび「芸タイム」となると、まるで何事もなかったかのように場を盛り上げねばなりませんでした。
 反省会の当番が近付くとみんな慌ててネタ探しに躍起になったものです。慣れてくると、その場のアドリブ(多くは一発芸)でシノげるんですけどね。
 また年度始まりには新入生は数人ずつ順番で、自己紹介とともにいきなり「芸」をしなければならないと言われていました。そもそも「芸」などやったこともなく、みんな何をどうしていいか分からず、しかも先輩のすることには1から10まで呆気にとられるばかり。あげくは「恐ろしいところへ入ったもんだ。さすが高校生はスゴいなあ。」と、今から考えると極めて的外れな感慨を抱いたものでした。しかしそこは同じ高校生、1か月もすると、何ということもなく馴染んでいき、翌年にはオドオドしている新入生たちを面食らわせる側に回るのですけどね。  ←戻る

<注4> ソフトボールについて
 当時、日曜日には必ずソフトボールをやっていました。石手川の河川敷で。いや、いくら何でも隔週くらいだったかな?まあ、その頃は文化部対抗ソフトボール大会なんてのも立派な生徒会主催行事として存在しましたから。その大会前は毎週だったかも。
 ともかく朝からソフトボールの猛練習、昼過ぎ(2時くらい?)からは女子部員も加わって例によって集団レク。男子は罰ゲームと称して(しまいには故なく)石手川の中へ互いを放り込み合ったものです。ざっぶ〜ん!!・・いい時代だったな。それに石手川にちゃんと水、流れてたんだなあ。
 しかも、恒例の新年行事と称してなんと1月3日にも必ずやってました。音萌の先輩たちは昼間はソフトボール、夜は音萌の総会&新年会と一日中出ずっぱりのようでした。よっぽどヒマなのかなとその時は思っていました。よくよく考えたら、ソフトにもきていた方たちは当時大学生だったから、そりゃあ、ヒマだよなあ。
・ ・・今現役たちは、既に大学生ですらない僕らを「よっぽどヒマなのかな」と思っているのだろうか?
・ ・・ね、井手さん。   ←戻る

<注5> 「N響」と「N響アワー」について
 3番ホルンに、小柄で、若干広めの額(スマン!)の卵形顔で、洒落た眼鏡をかけ、アレキサンダーのホルン(そんなもん見ても分からんよなあ)を吹いている奏者がいれば、それが今井クンです。結構頻繁に映ってますよ。
 同番組では、女優の若村麻由美さんとともにパーソナリティを務める作曲家池辺晋一郎氏(愛媛にも結構縁が深い)の必殺オヤジギャグも炸裂しまくっています。若村さんはリアクションに困っています。前任の檀ふみさんは、そこは年の功で軽くあしらってましたが。  ←戻る

 何が若者向けかってえと、このネタが分からない世代への親切な説明であるということと、
編集の都合上印刷の文字が老眼の方にはつらいポイント数であったことですな。本文より長い珍しい注釈です。




ホームへの非常口