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音萌における「老」の問題の一考察             54卒 高橋宏文(Tub.)

 

 ことの発端は、会報HPで見た音萌のアンケートである。音萌の会と言えば何を思い浮かべるか、という設問への回答に「宗教団体」というのが複数あった。私はとても気になった。今年に限らず、音萌の演奏会の練習や本番当日に法衣姿で顔を見せることが度々あったので、最近入会した若者の中には音萌に宗教色を感じた者がいたのではないかと。(自意識過剰といえばその通りかもしれない。スキンヘッドの集団ならともかく、今さら一人の僧侶の姿を見て宗教を意識する若者が多いとは思えない。ビジネス坊主のユニホームと考える程度だろう)そこで、HPの掲示板でO嬢(むかしこんな題名のエロチックな映画があったなあ)に尋ねてみた。「音萌のイメージの宗教団体ってまさか私のせいではないだろうなぁ」と。彼女曰く、「音萌って老若男女入り混じってるから、新興宗教の集会やってるみたい。」だと。そこで今回のテーマである。「老」っていったい?(長い前置きだ)

 尾崎会長の言われる通り音萌の年齢差は31歳にもなる。先輩後輩の関係とともに、間違いなく親子間のそれに匹敵する感覚の差が生じているはずである。アニメ「パーマン」の主題歌と聞いて「パピプペ パピプペ パピプペパーマン」と口ずさむか「パーマン パーマン ッパーマーン」と歌うかで世代の違いが鮮明になる。あるいはJRを思わず「国鉄」と言ってしまうとか、伊予鉄とJRを「電車」と「汽車」で区別しているとか…(おっとこれは郡中線沿線だけのローカル話題か…、え、高浜線でも使えるって?)。自分は若いと思っていても、アイドルタレントを見る眼が「この人すてき」から「この子かわいい」に変わっていないだろうか。 昨年だったか、ポルノグラフィティなるバンドの「アポロ」という曲が流行った。(このバンド名に違和感を覚えることも、既に問題を内包しているのかもしれない。もっとも我々の世代にもセックス・ピストルズという英国のロックバンドがあったのだが…)その詞の中に「ぼくらの生れてくるずっとずっと前にはもうアポロ11号は月に行ったっていうのに」という箇所がある。この詞を聴いて、少なからぬショックを受けたのは私だけではあるまい。アポロ11号の月面着陸は1969年のこと、昨年で言えば30年前のことである。当時私は9歳(小学3年生)であった。学校の教室にあったモノクロのテレビで、その感激を息を呑んで味わったのを鮮明に記憶している。翌年の大阪万国博覧会でアメリカ館の目玉は「月の石」だったのである。ポルノ…のいう「ぼくら」とはいったい何歳を前提としているのだろう。「もうすでに」とか「すこし前」程度ならともかく「ずっとずっと前」なのである。うーむ。ポルノ…の支持層が10代から20代前半なら、「アポロ」のいう「ぼくら」もその世代なのだろう。とすればアポロ11号の月面着陸の感激を、時代のエポックとしてリアルタイムで味わった我々の世代は、「ぼくら」すなわち音萌でいう「現役〜学生会員」世代にとって「ずっとずっと前」の人々なのである。

 世間一般で言う「老人(高齢者、お年寄り)」とは、60歳以上であったり70歳以上であったりするが、孫が出来ればすでに「おじいちゃん(おばあちゃん)」である。私の友人で40代のおじいちゃんを知っているが、彼は目を細めて孫の可愛さを語る。(もっとも彼には「孫」より年下の「子供」が出来る可能性も大なのであるが…)いくら若作りであっても、孫の目から見れば間違いなく敬老の日の対象なのである。生物学的に言えば、人間は18歳で肉体のピークを迎え、以後「老化」してゆくという。(専門家ではないので間違っていたらごめんなさい。)また、昆虫や魚類の多くには「老後」はなく、受精・産卵すればそこで寿命が尽きる。弱肉強食の世界にいる野生動物も同様で、「祖父母」になる以前に、子育てが終わればもはや「老後」なのであって自然界では捕食される立場である。O嬢が言うには「音萌で『老』は老眼の人!」とのこと。これらの基準で言えば、音萌に老人は何人いるのだろうか。

 日本の将来を語るときに決まって持ち出される話題が、少子高齢化による活力の低下である。老人が居座り、若者が夢を語れない、希望をもてない、進んで新しい一歩を踏み出そうとしないなどなど…。まさか音萌には年金問題や医療費問題はないだろうが、なんとなく今の音萌にも当てはまっているようで笑えると同時に不気味でもある。

 音萌の黎明期に中心となって活動していた世代も、もはや40〜50以上。音萌に対する愛着と情熱は昔と変わっていないと思いたいが、社会的な立場上、自分の趣味の世界に時間はあまり費やせない。そして若い会員から見れば「ずっとずっと前」の人なのだ。しかし一般社会と違って音萌の古参会員は、いつまでも活動の中枢にいたいとは思っていないはずだ。なぜなら、労多くして役得はほとんどないのだから。(役得があるとすれば、女子高生あるいは女子大生にいち早く名前を憶えてもらえるとか、ひょっとすれば彼女達にお近づきになれるかもしれないとか…。ねえIさん!)音萌の内部事情、および音萌を取り巻く環境は発足当時とは確実に変わっている。音楽という世代を超えた共通語が通用するのはステージの上だけなのかもしれない。そして、音萌は演奏団体ではないハズである。どんな団体でも発足当時は目的に対する情熱である程度前進して行くが、やがてその運営が軌道にのってしまうと、往々にして定められた行事を前例にしたがってお座なりに消化するだけになってしまうものだ。そんなときよく言われるのが「原点に還ろう」という言葉である。音萌の原点って?

  将来の夢を語るのが若者で、昔を懐古するようになったら老人だ、という格言を聞いたことがある。音萌が、今後歩んで行くべき未来を語ることなく、昔の演奏会を懐かしんでいるようなら、OB会という会の性格を差し引いたとしても、会員の誰でもない、「音萌の会」自体が既に老化現象を呈しているというのは言い過ぎなのだろうか。

 若い会員の人たち、音萌は君たちのものなんだよ。


おーもっちゃん(件のO嬢)乱入

 掲示板の過去ログを掲載しようと思ったらもう消えちゃってた。うちの近所の施設では定期的に妙な集団が夜に会合を開いています。それこそ老若男女・・・。おそらくはなんらかの宗教関係かと。そして彼らはとてもさわやかに解散して行くのです。おーもっちゃんの発想はそこから来ているのだよ。音萌に似ているなーと。宗教と音楽は似ている。集団トランスとまではいかなくともひとつの方向にものすごいパワーが向かうという点で。また「音萌の会」って字面がねえ。当て字で・・・。
 年齢に関して、音萌では新音萌に井◯さんが会長を指さして「何歳違いに見える?」と聞くのが恒例になってます。私は新音萌のとき思いっきり失礼な答えをしてしまったよーな・・・。井◯さんは最近ユニクロがお気に入りで、若者に混じって買い物してるみたいですよ。んで、今年は野本さんが若さを自慢してましたねー。
 なんにせよ、老いも若きも一緒になってなにかするってのはスンバラシイ!!





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