斑銅鉱2(佐々連鉱山)
前回に引き続いて「佐々連鉱山」のお話である。戦後、佐々連鉱山は「金砂坑」を中心に開発が進み、別子鉱山の片腕を担う支山として発展を続けてきた。特に深部に掘り進むに連れて品位が上昇する「ナオリ」と呼ばれる現象は、住友の経営効率上からも現場の鉱山従業者の心理上からも大変好ましいことで、まことに有り難い大山祇神の賜物として受け止められたことだろう。この「ナオリ」は、鉱床形成後の同斜褶曲によるもので、西に行くに従って発達が著しく大規模になっていくことが知られており、特に金砂坑の西の尖滅点付近では、接する珪質片岩が折り畳み状の強い褶曲を受けて、鉱床がこの褶曲に巻き込まれながら渦巻き状に尖滅する特異な様子も観察されている(日本の鉱床総覧 日本鉱業協会)。結局、「ナオリ」とは、一種の大規模な「ハネコミ」と考えることができる訳で、もっとも発達した金砂坑では最大数mに及ぶ黄銅鉱、斑銅鉱の高品位化が至るところで見いだされたという。
この標本は、そんな「ハネコミ」を偲ぶことができる孤高の一品!!母岩からクリアカットに、多くの黄鉄鉱の晶出を伴って塊状の斑銅鉱が大部分を占め、まさしく「紫蘇ノ」の名の通りに全体が赤紫色に光り輝いている。佐々連鉱山は、閉山間際に、各種の鉱物標本箱を世に送り出したことでも有名で、小生所有のものは20cmケースのコンパクトな一般マニア用であるが、さらに数十cm大の木箱に大きな標本ばかりを集めた学校や博物館用もあったようで、こうしたものの一部が最近も鉱物標本店などに流通して「佐々連の斑銅鉱」として広く親しまれている訳である。おそらく、これもその頃に流出した標本用の鉱石のひとつと思われ、錆や曇りもなく採掘当時の重厚な趣がそのまま豪快に残っている。品位の高い斑銅鉱や黄銅鉱は鉱山会社にとっても大事な商品であったので、通常は外部に持ち出すことは堅く禁じられていたようだが、日本最後の銅山として、その誇りを後世に残すために会社を挙げて標本作製に協力して戴いた姿勢には率直に感謝すべきであろう。
(A氏からM氏に贈られた佐々連の黄銅鉱(15cmφ)。A氏にお会いするきっかけともなった。)
さて、平成22年4月2日、小生は砂金採集で有名なM氏のご仲介で、住友建設、元佐々連所長A氏にお会いし、佐々連鉱山跡を案内していただくとともに様々な鉱山のお話を訊くことができた。A氏も30年ぶりの訪問とかで、感慨深そうに辺りを散策された。事務所にそのままズカズカと上がり込んで、駐在の職員と昔なじみの友達のように長談義される様子には、さすが住友のOBという貫禄を感じさせると共に、傍らで待つ小生達のほうが却って恐縮した次第・・。その中で、もっとも興味深かったのは、佐々連鉱山のガス噴出という一寸意外な逸話であった。もともと結晶片岩帯の鉱山は変成岩のため、メタンやエタンなど天然ガスの有機物は、高温高圧の変性過程で消滅して残らないというのが常識で、実際、銅山保安関係の書物を見ても、四国管区内では火薬以外の爆発についての記載は見当たらない。しかし、最近、播磨灘の海底から成因不明の気泡が上がっているのが観察され漁業関係者に不気味がられているとのニュースもあるように、意外なところから意外なガスが噴出することはままあることで興味を抱かせる。地球内部のいとなみはまだまだ謎に満ち溢れているのである。
A氏は言う。「あれは昭和30年代から40年前半のことだったと思う。金砂坑、・・何番坑道だったかは忘れたが、ある水平坑道を20mばかりも入った岩盤の割れ目から、シューシューと音を立てながらガスが噴出していた。最初に報告を受けた時は耳を疑ったが、放っておく訳にもいかず、ガス検知器を持って、恐る恐る近づいていったことをよく覚えている。暗闇の中で、ガスが水と共に勢いよく吹き上がっていた。特に臭いや味?は感じなかったように思う。分析の結果、ガスはメタンか何かだった。鉱床に割れ目の空洞が走るのは別子も同じくよくあることで、断層や熱水によって形成されたものだが、この中に可燃性のガスが確認された例は聞いたこともない。さっそく上層部も交えて検討した結果、ガス噴出が認められる坑道は坑道ごとコンクリートで固め閉鎖してしまい、鉱山自体の操業はそのまま続行すると言うことになった。坑夫の中には、爆発は大丈夫か?と懸念する向きもあったが、ガス噴出量はごく僅かで、炭坑とは訳が違うことを繰り返し説明し、何とか大問題になることは回避できた。しかし、心底、納得していた訳ではないだろう。ガスで人身事故が起こったかどうかは記憶にないが、そのうち、別の厄介な問題が持ち上がることになる。とにかく佐々連鉱山の歴史上、一二を争う珍事だったことには違いない。・・」
そこで、佐々連鉱山のガス噴出について少し調べてみると、3件の記事を得ることができたのでここに紹介しておく。
● 地質調査所月報(1979)・・「本島(1962)らによると、佐々連鉱山坑内下21番西7号ボリング座のNo.106ボリング と呼ばれる孔口よりの産出である。ガスには硫化臭がなく、湧出ガス量は1u/day 以下である。」
● 地質ニュース(1961)・・「層状含銅硫化鉄鉱床として有名な別子・佐々連の両鉱床は、三波川系の緑色片岩と黒色片岩のなかに成立している。鉱山の採掘が順次深部に達して還元帯に入ると CH4 ガスをわずかながら産出することがままある。そのガスの組成は CH4,
N2 を主としてわずかの C2H6 をも含む。N2/Ar はきわめて大きく He/N2 も新しいガスよりも大分大きい特徴がある。ガスの質的調査・研究が必要である。」
● 徳島の自然 地質1(岩崎正夫編著 徳島市民双書 1979)・・「泥質片岩に、硫化水素、メタンガスなどを含むことは、昔から鉱山で知られていた。愛媛県佐々連鉱山では坑内作業中、ガス爆発があった。何故、泥質片岩中にこの様なガスが含まれているのか、現在よく分っていないが、興味あることである。」
そ そのメカニズムについては未だによくわからないというのが正直なところだが、ある地下ガスのHPには、「佐々連鉱山の地山は泥質片岩。普通なら変成作用が進んで、有機物など存在しないと考えます。メタンの発生などあり得ないことです。泥岩の高圧変成作用が進むと、グラファイト(C)が出来ます。これが、坑道の掘削により、空気中のHやOと反応して有機化合物を作るのでしょうか。その場合でも強い電気ショックのような外的作用が必要だと思いますが。それとも嫌気性バクテリアの所為でしょうか?」と考察されている。バクテリア説というのはなかなか面白い。確かに岩盤中には何億年も生き続けるバクテリアがいたり、海底のブラックスモーカーのような酸素のない高温の環境でもある種のバクテリアが確認されているのも事実なのだが、地底の想像を絶する高温高圧の環境で生き延びられる生物など果たして存在するのであろうか?・・地球の生命の起源を探る上でも大変興味深いことである。
(ガス噴出場所に近い24Lプラットの稼行当時の様子 「山村文化20号」より転載)
あ
あ この事件?が契機となって、佐々連鉱山は結局、銅山ではまず考えられない「乙種鉱山」に指定されることになった。これがA氏の言う“厄介なこと”である。「甲種鉱山」は、坑内に爆発する危険性のガスが出る鉱山のことで、100% 炭鉱である。乙種鉱山はそれに次ぐ危険性のある鉱山ということになるので、いざという爆発に備えて本格的な救護班を組織するとともに消火設備や通気体制も整備しなければならない。もっとも困るのは、いままで坑内で活躍していたトロリーカーをすべてバッテリーカーに変更し、スパークの出る削岩機や電気設備も炭鉱を参考に安全なものに交換しなければならなくなったことで、鉱山経営者にとっては次から次と湧き上がる山積みの問題に頭を抱えたという。四国では規模の大きな鉱山であっただけに、坑道をコンクリートで覆ったくらいでは通産局のお役人に許してもらえる筈もなく、閉山までの長い間、別子本山にはない苦労を強いられたと、A氏は静かに述懐された。
あ ガスが噴出したという21番坑道は、通洞口より700mの地下・・今話題となっているチリのサンホセ鉱山のシェルターとほぼ同じ深度である。佐々連閉山から30年・・坑道はおそらく鉱水が濃縮した深い硫酸の海の中に沈み崩れてしまっているのだろうが、今も暗闇の中にブクブクと怪しげな気泡が湧き上がっているのであろうか??・・足下から上がってくるそういうゾクゾクするような感覚に打たれながら、霧晴れやらぬ寒々とした鉱山跡地にしばし立ち尽くしたのであった。
あ
(佐々連鉱山碑にて。中央 A氏、右 W氏、左は最近肥満著しい小生)