毛状輝安鉱
明治32年、かの田中大祐翁は市之川鉱山で毛状輝安鉱を発見して斯界に示し一大センセーションを巻き起こした。当時の鉱物研究所所長 沢田伊之助氏は、「輝安鉱と田中大祐氏」と題して「・・猶又同氏は去明治三十二年同鉱の中より「毛鉱」を発見して、渡辺博士に示し大に讃辞を得たる等輝安鉱に於ける実に世界的功献者と称するも敢て過言に非らざるべし。」(「田中大祐翁小伝」より)とその功績を頌えている。時を同じくして明治32年の「日本鉱業会誌」掲載の「市之川安質母尼鉱山地質調査報文」(小川琢治教授)には「・・鉱脈ハ石英ト輝安鉱 Stibnite ヲ主トシ稀ニ之ニ伴ヒテ水晶 Rock
Crystal 毛状鉱 Feather Ore 灰重晶石 Bromlite 方解石 Calcite ヲ含ム事アリ・・毛状鉱ハ暗灰色ニシテ多少絹糸光ヲ有シ繊維状ヲ成シテ輝安鉱ノ間ニ叢生スルモ其産出ハ稀ナリ。」と詳細に報告されているが、これも田中翁が供給した毛状鉱あればこそと言えるだろう。
今回の標本は、「明治32年7月採集」の色あせたラベルを有する古いもので、某有名コレクターの放出品。米水晶の間にあたかもウェーブのかかったような、あるいは寝起きの寝癖がついた毛髪を彷彿とさせるような不気味な“毛状鉱”が散在している。(ここでは敢えて“毛鉱”ではなく“毛状鉱”としておく。)写真では一部虹色に見えているが全体として“絹糸”の如き艶のある綺麗な鋼灰色で、ごく細い部分のみが酸化して黒色になっている。息を吹きかけるとどこかに飛んで行きそうなほどフワフワと繊細で、それがまた一段と得も言えぬ気持ち悪さを増幅させている。保存方法もなかなか難しく綿やガーゼの部類は使えないので、小生の標本の中で唯一、いわゆる“プチプチ”でガッチリ周囲を固定して「ガラス板入り標本箱」に収納し、できるだけ空気や人の手に触れないようにして暗所にしまってある。このような稀少な標本を入手できるとは思いもしなかったので誰もに自慢できる一品として今も埼玉の手元に置いているのだが、標本の旧蔵者も四国人ではなく、採集の時期からしてもおそらく田中翁が中央へ供給した標本のひとつであろうと自分なりに推測している次第。
市之川鉱山には、よく似た鉱物としてベルチェ鉱も産出する。小生のHPにupしているベルチェ鉱は、細い柱状結晶がゴチャゴチャと錯綜、集合する形状(ある本では“筵のように”とも表現されている)で、こちらはあくまでも直毛で短く、今回の毛状鉱とは明らかに一線を画している。光沢もベルチェ鉱の方が虹色の暈色が強いようだ。ベルチェ鉱は今でも市之川鉱山跡で比較的容易に採集できるので小生もしばしば自他の標本を見てきているのだが、この標本のようなフワフワのウェーブのかかった産状はお目に掛かったことがない。ベルチェ鉱も条件によっては毛状に形状が変化するのであろうか?・・しかし、ベルチェ鉱は輝安鉱より脆く折れやすい性質らしいので、おそらくこれとは別の鉱物ではないかと小生は推測している。「市之川地区の歴史」(伊藤 勇先生編著)には当時の毛状鉱の逸話が掲載されているのでここに再掲しておこう。「・・(昭和9年の)大水のあとで、矢野友太郎さんのお父さんが、お山神さんの横の河原で毛鉱を見つけたという。針みたいな尖ったハクがごじゃごじゃと無数に集まり、それは奇妙な眺めであったそうだ。」・・針みたいな、とあるので、この場合はベルチェ鉱であったのかもしれない。
ちなみに下写真は、西條市立郷土博物館に展示されている田中翁採集の“毛状鉱”。肉眼的な感想に過ぎないのだが、非常に細く繊細で自由に曲がるイメージは、やはりベルチェ鉱とは異なる鉱物ではないかと感じている。誰もが驚く豪快な巨晶を産出した一方でこのような吹けば飛ぶような弱々しい特異な輝安鉱が共存する市之川は本当に面白く奥の深い鉱山だな、と今さらながらに小生は感嘆するのである。
(西條市立郷土博物館展示の市之川鉱山産 毛状鉱)
さて、さらに“毛状鉱”とよく似た形態を呈するものに、ブーランジェ鉱 (Pb5Sb4S11) と毛鉱(ジェームソン鉱)
(Pb4FeSb6S11) がある。いずれも鉛を含む硫化鉱物で四国では珍しいとされ、熱水鉱床やスカルン鉱床に産し、特にマンガン鉱と共生するものが多い。愛媛県では古宮鉱山に少量産したブーランジェ鉱が昔から知られているが、この度、「愛媛石の会」の仙○氏は、砥部町の、とある場所から新たな産地を発見され、総会で発表された。下写真にその産状を示す。石英の空隙に麻の如く乱れた毛状の様子を見ることができる。新鮮なため、色合いは鋼灰色に輝いているが、一部に虹色の暈色もみられるという。小生の見る限り、やはり直毛のベルチェ鉱よりは、ウェーブのかかった毛鉱の方が可能性も高いと思われるのだが、産地も優量鉱山や弘法師鉱山といった輝安鉱脈とマンガン鉱、キースラガーが入り乱れる複雑な地域であるため、これが毛状輝安鉱、ベルチェ鉱、ブーランジェ鉱、はたまたジェームソン鉱のどれに属するものなのかは成分分析をしてみないとわからないという。いずれにせよ“毛状鉱”の貴重な産地がまたひとつ増えたのはまことに喜ばしい限りである。
(愛媛県砥部町産の毛状鉱。「愛媛石の会」仙○氏 提供)
翻って市之川鉱山の“毛状鉱”は、発見後しばらくして“毛状の輝安鉱”とされ、毛鉱とかブーランジェ鉱ではないと結論されるに至った。何分、古い話なので詳細な成分分析が行われたかどうかは定かではないのだが、斯界の権威書である「本邦鉱物圖誌」(伊藤貞一編 昭和12年版)には、毛鉱の項に「特に毛状に産する輝安鉱は従来屡々毛鉱と誤られた。」と明記されている。ただし、そのような毛状輝安鉱の産地として、細倉鉱山、神岡鉱山、生野鉱山、津具鉱山などが挙げられているが、肝心の市之川鉱山が含まれていないのは何故だろうか?・・少々疑問は残る。おまけにこれらの鉱山は方鉛鉱も多産する産地ばかりだから、むしろ毛鉱のほうが考えやすいのではないかと素人ながら思ってしまうのだが・・そのあたりの事情を汲んでか、宮久先生は「日本地方鉱床誌 四国地方」の中で「毛鉱は古宮マンガン鉱山に少量産出した。また市ノ川および弘法師にも毛鉱を産したといわれるが明らかではない。」と含みを残し、皆川先生は、ここ10年の「四国産鉱物種」の中では一貫して毛鉱とする立場を貫いておられる。
結局、わかったようでわからないのが、この市之川の“毛状鉱”と言えるだろう。しかし、西條市郷土博物館をはじめ田中翁の供給された標本は各所に残っている訳だから、どうにかして分析をおこない決着をつけてほしいと願うのみである。市之川鉱山に果たして含鉛鉱物の毛鉱は産出するのか!?・・田中翁が学会に示した市之川鉱山“毛鉱”のセンセーショナルなテーゼは、百年経った今日でもいまだ未解決の問題として残されたままなのである。