会長あいさつ
S47年卒 井手 浩一
<曲目紹介>
▼中央アジアの平原にて
(A・ボロディン 作曲)
▼大序曲『1812年』
(P・I・チャイコフスキー作曲)
音萌の会には≪5年一順説≫というのがあります。つまりクラシックステージで取り上げる曲は、みんなに人気があってやりがいのある曲がいい、しかしそんな曲は当然難しいから候補には上がっても「ちょっと無理だよなあ」ということになります。チャイコフスキーの『1812年』はそんな中で《頑張れば何とかなりそうな》曲です。天国のチャイコフスキーが聞いたら激怒しそうですが、我々の手の届く範囲にある。で、五月の選曲会議の時に「1812年ってこの前はいつやったかなあ」「えーと、5年前ですね」「そろそろ良いタイミングかなあ」「いくら何でもマンネリじゃないですか?」「いや、5年経てばお客さんも入れ替わって時効だから」という会話があって、そこへとどめのように「そう言えば今年は200年目ですよね」「ん?」
それであっさり『1812年』で行こうかということになって、次はそれに組み合わせる曲を選ぶことになりました。金管から文句が出そうだからあまりハードな曲はダメ、木管主体で綺麗な曲が・・・とあれこれ挙げていたらまるで天啓のように・・・ナポレオン・・・ロシア・・・ユーラシア大陸・・・アジアへと続く大平原、お!『中央アジアの平原にて』でどうかなあと。
これで解説が終わってしまったらいくら何でも大ヒンシュクなので、『1812年』は良く知られているように、ナポレオンのロシア侵攻とその敗北を描いた作品です。フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』の断片が出てきたり最後はロシアの国歌が堂々と現れたりで、実に分かりやすい。ただ、以前から思っていることですがこの曲は一種の機会音楽のようにとらえられていて、CDに本物の大砲の音が入っているとか、有名な寺院の鐘の音が入っているとか、それって音楽の本筋とは関係なくないですか?
そんなこととは離れても、この曲にはいかにもチャイコフスキーらしいリリシズムに溢れた旋律がふんだんに盛り込まれています。15分余りの曲の構成も緊密でスリリングだし、やっていて飽きません。例えばボロディンの『だったん人の踊り』もそうですが、彼らの生み出して来る旋律には我々の琴線に触れる何かがあります。これは私だけの感じ方かもしれませんが、バルトークの『舞踏組曲』なんかを聞いていても、不意に日本の山里を思わせる和音が響いたりするのですね。ラテンだろうがジャズだろうがディープパープルだろうがクラシックだろうが何でものみこんで咀嚼してしまう多様さが、我々の特徴なのかもしれません。
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