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東京オリンピックはパラレルワールドの話のようですね…

<第1部曲紹介>
▼東京オリンピックファンファーレ (今井 光也 作曲)
(今井光也 1922-2014) 1964年の東京オリンピックのファンファーレは公募され、414編の応募の中からこの曲が選ばれました。一般アマチュアオーケストラとしては最も歴史のある諏訪交響楽団の指揮者であった今井光也さんの作曲です。ちなみに今井さんのお父さんである久雄さんは諏訪交響楽団の創設者のひとりでもあります。短調で書かれており、荘重な曲となっています。

▼東京オリンピックマーチ (古関 裕而 作曲)
(古関裕而 1909-1989) 同じく1964年の東京オリンピックのために作曲され、古関は会心作と考えていたそうです。コンサート仕様で書かれており、ハープなどは行進時には省けるようになっています。 この曲の最後には君が代のフレーズも取り込まれ(「♪むすまで」の部分)、日本での開催を表現しています。 古関裕而の曲は荘重で気品があるものが多いのですが、このマーチもそのように演奏できればと思っています。

▼シンフォニックバンドのためのパッサカリア (兼田 敏 作曲)
(兼田敏 1935-2002) 1971年、音楽之友社創立30周年記念行事の委嘱作品として作曲されました。冒頭に十二半音階を全て用いたメロディが提示され、その変奏曲として作られています。十二半音階というとおどろおどろしい現代音楽を想像しますが、なんとも暖かい素敵なメロディです。変奏は、勇壮な部分やアリア、洒落たワルツなど様々な顔を持っており、最後は冒頭のメロディが華々しく演奏されます。

▼第一組曲 (G・ホルスト 作曲)
いわずと知れた吹奏楽曲の大定番、エヴァーグリーンです。わたしが高校生の時に既に広く演奏されていたし、今の高校生、大学生も大好きみたいですね。この曲を一度も聴いたことのない、あるいは吹いたことのない吹奏楽経験者はモグリです。では何故だろう?
 @ むやみに難しくない。複合拍子、変拍子などは決して現れないので、中学生のバンドでも練習時間の少ないバンドでもそれなりに演奏出来ます。一部の楽器で高音域が要求されるけれど、そこをクリアーすれば形になる。ところが「N響吹奏楽」や「なにわオルケストラルウインズ」でも良く取り上げられます。
 A 曲調が親しみやすく、歌いやすい。旋律は独特の哀愁を帯びて、何度聴いても飽きが来ない。主旋律も魅力的ですが、それに絡む対旋律とのバランスも美しい。朝ドラのヒロインの親友が、大抵の場合美人であるようなものでしょうか。
 B 楽器の用法が巧みである。それぞれの楽器が一番輝かしく、無理なく響くような効果的な使い方がなされている。個人的意見ですが、ホルストは特にクラリネットが好きだったと思います。曲は三つのピースに分かれていますが、統一した主題と緊密な構成の基に書かれているから、一気に聞き通すことが出来ます。作曲者もそれを望んでいます。
 C 実は熱い音楽である。一見平易に書かれていますが、そこに激しい感情を込めることも可能です。リズムがシンプルで形式も整っているので、いざとなれば力感に溢れた音楽に転化する可能性を秘めています。
 ホルストは1874(明治7)年、イングランドのグロースタシャー州チェルトナムの生まれです。ロンドンから遙か西へ向いて行った、鉱泉の湧く保養地です。高濱虚子や河東碧梧桐と同年齢です。もう百年以上前(1909年)に異国で書かれた吹奏楽組曲に、現代の我々が限りない親しみを感じる。不思議です

▼歌劇「ローエングリン」よりエルザの大聖堂への行列
(R・ワーグナー 作曲 / ルシアン・カイエ 編曲)
L.カイエの編曲があまりに優れているために、まるでオリジナルの吹奏楽曲であるかのような印象がありますが、原曲はれっきとしたオペラです。第2幕の終わりで、エルザとローエングリンが結婚式を挙げるために教会へ向かうシーンの音楽。
 中世ドイツのブラバント公国(現在のベルギー、アントワープ付近)の前領主の娘エルザは、邪悪な伯爵テルラムントによって弟殺し(実は魔法によって白鳥に変身させられている)の汚名を着せられ、窮地をいずことも知れない場所から現れた騎士ローエングリンによって救われます。しかし、国王や貴族や民衆の前で愛を誓う前に「私の名前も素性も、決して尋ねてはならない」と約束させられます。何故なら「私はたとえ国王に尋ねられても名前を明かす義務はないが、ただ一人、自分の愛する者に聞かれた時だけは、問いに答えなくてはいけない。そうすれば私の力は失われ、ここから立ち去らなくてはならない」からです。結局、彼女は初めて二人きりになった夜に、その誓いを破ってしまいます。

 でも、あなたは配偶者となるべき男性の名前も聞かずに結婚生活を送れますか?
 何も語ってくれない相手を信じて暮らして行けますか?

 そもそもこのストーリーには根本的な無理があります。何故、一つの公国の運命をたった一人の女性の意思に委ねなければならないか。しかも、禁断の問いを発してしまって全てが瓦解した後で、ローエングリンは「あなたがこのまま何も尋ねなければ、上手くいった。わたしは領主を取り戻す使命を果たして、一年後には故郷(モンサルヴァート)へ戻って行くことが出来た」と告白します。つまり、彼が救いに来たのは『ブラバント』という小国であって、エルザ本人ではない。彼女はある時点で、相手の嘘に気が付いてしまったのです。だから、真意を隠していたローエングリンが99%悪い。1%はオマケです。

 ワーグナーはこの一部始終を見事に音にしました。愛も信頼も裏切りも憎悪も、余すところなく表現しています。言動にはとかく問題の多い男ですが、紛れもなく天才です。伝統的なカイエの編曲では最後は壮麗に締め括られますが、原曲に忠実な編曲では『禁問の動機』が不吉に割り込んで来て、小さな公国全体が危機に瀕していることが暗示されます。結婚式の後の束の間の幸福感に酔いしれるか、それともブラバント全体に迫り来る不安におののくか。迷った末に今回は前者を選びました。




 


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