締め切り厳守(笑) S47卒 井手浩一 この原稿を書き始めたのは7月7日(日)です。会報の発送は13日と14日に決まっているのでいくら遅くても11日の夜にはおーもっちゃんに送らないと叱られます。しかるに、来週は出張と会議が目白押し、今日中に少しでも書いておこうとパソコンを開けました。この時期は色んな行事が立て込むのが常ですが、今年は一層ハードです。昨日と今日とで大まかな練習計画は立てましたが、果たしてこれで良いのか暗中模索といったところ。 今年はご承知のように吹奏楽コンクールの日程と場所とで大どんでん返しがあったので、練習場所はなかなか詰め切れませんでした。来年3月末まで市民会館が使えない(改修作業中)ので、そのしわ寄せが各方面に来ています。つまり、公共の練習場は大激戦です。コミセンのリハーサル室については去年の9月に取れるだけは取りました。9月の初めの予約会に行ったのは自分自身であるにもかかわらず、一体その時点のわたしが何を考えていたのか今となっては見当が付きません。これでは現役に迷惑をかけるな・・と四苦八苦したあげく、コミセンと文教会館とひめぎんホールとを組み合わせるという策で切り抜けることにしました。たとえば文教会館を多用すれば、ある程度この苦労は解消します。競合団体が少ないからです。でも残念なことに使用料金が高い(その分どの団体も使わない)のですね。ちなみにテレビ愛媛のヴィヴィッドホールも同様です。同じ使用時間のコミセンやひめぎんの練習室と比較すると、おおよそ5倍くらいの料金になります。だから、最良ではないにしてもベターだろうと思っています。叱正。 これは来年以降運営に当たって下さる方に書き遺しておきます。音萌の演奏会は現役のスケジュールを尊重しないと成り立ちません。まず開催日は樫の木会とのバランスを取った上で、三年生の模試になるべく影響の薄い日にする、それから音萌の本番は通常県大会と四国大会との丁度中間点に当たり、彼らに取ってはすごく重大な日々を過ごしています。だから、練習会場の上でも移動の点でも、出来るだけ負担の少ないスケジュールにしないと賛助出演が難しくなります。OBの演奏会なんだから・・という意見もあるでしょうが、学校の楽器(特に打楽器)を使わせて貰わないと、本当に手も足も出ないのです。母校の協力あっての演奏会であることを忘れないで下さい。まして、彼らは将来のOB会員です。傍で見ていると特に三年生は本当にギリギリの日々を過ごしているなというのが良く分かります。もし今あんなハードな模試を受けさせられたら、俺ならグレますね。確実に。そこへ無茶な日程をぶつけたら彼らはどう感じるでしょうか。両方の折り合いを付けるのは至難の業なのですが、まずは現役に対する配慮を忘れないこと。 さて、演奏曲目は決まりました。楽譜も一応揃いました。ただ全てはこれからです。いつも「最後は何とかなるだろう」と思ってやって来て何度も痛い目にあっているので、そろそろ賢くならないとね。先日21年卒の川原さんからメールを貰いました。今は横浜で小学校の先生をしているそうです。川原さんといえば真っ先に思い出すのは『涙の千羽鶴事件』です。多分一生忘れないと思います。いや、まだ一年生だった彼女が(代表して)コンクールメンバーに千羽鶴を贈ったというだけのことなのですが、後にも先にもあんな見事な泣きっぷりは見たことがない!たまたますぐ傍に居たので一体何事が起こったのかと思いました。その彼女もあっという間に卒業して、大学生活も終わって、今や社会人ですからね。 脱線しました。川原さんがメールの中で書いてくれていたのは、今の自分にとって『松山東高吹奏楽部』で3年間頑張ったことが今大きな支えになっている、そして音萌という帰るべき場所がある、というのも心の拠り所になっている、ということでした。本当にありがたいです。そういえば以前に山下奈保(呼び捨てゴメン)も橘のぞみさんも同じことを言ってました。それなら40年間続けて来た甲斐があるというものです。ただ、確かに今年が40年目にはなるのですが、自分の中では10年か15年くらいの感覚しかありません。始める前は5年くらいは頑張ろう、それなら一応やったと言えるのではないか・・・それがズルズル延びて、何度か引退しよう・・・というのが往生際悪く?ここまで来てしまいました。でも、今回の会長もとりあえず3年のワンポイント・リリーフだったのがもう6年、ですから。ここで肩書きは外させて貰いたいと思います。ただ、現役の応援は身体がもつ限り続けようと思っています。あれは別に会長だからやっていることではありません。 さて、この40年間、本当に色んなことがありました。これほど大変なことが分かっていたら、多分「OB会を作ろうや」とは言いださなかったと思います。でも、もうやっちゃったもんね。後は、会員それぞれの中にその時々のエピソードが生き続けてくれれば満足です。第30回の演奏会にはゲストで来て下さった矢野慶三先生が今年亡くなられ、この何年かでも年若い友人が何人もいなくなってしまいました。丁度去年の演奏会のリハーサル中にF君のお母さんが見えられ「息子は来てませんか?」と藁をも掴む表情で尋ねられました。それから一月ほど経って残念な結果になりましたが、お母さんは何度も「息子は音萌で楽器を吹いている時だけは本当に楽しそうでした」と言われました。これ以上何を望むことがあるでしょうか。今回ゲストとして来て下さる浜辺英夫先生ともども、過ぎ去った時間の余韻を楽しみたいと思います。少なくともこの10年の音萌の隆盛は、先生の人徳のおかげですから。 最後に。現役は今年の春から橋本加代子先生を顧問にお迎えして頑張っています。何度か合奏風景を見させて頂きましたが「ハイッ!」という声の響き、先生を見つめるメンバーの視線、見ていてゾクゾクしますね。先生には、思う存分腕をふるって頂きたいと思います。そして橋本先生の東高ブラスも我々全体の共有物である、と思えるような充実した日々を過ごしたいと思います。これは足しげく学校へ通って、口を出して、ということでは決してありません。ただ、何かあった時には全面的に協力する、そういうOB会でありたいと強く思います。では、また練習会場でお会いしましょう。それまでに少しでも腰の状態が良くなってくれればいいのですが。 7/13(土)朝 井手 浩一 |