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梯さんのこと                          47卒 井手 浩一


 梯剛之(かけはし・たけし)というピアニストを御存知だろうか。去年の冬に、彼がショパン・コンクールに挑戦した日々のドキュメンタリーをNHKが放映したから、見られた方も多いかもしれない。梯さんはまだ二十歳を幾つか越えたばかりの青年だ。優秀な音楽家のご両親の元に生まれたが、小児がんにかかって生後1ヶ月で失明した。その病気は十三歳の時に再発して、現在も治療が続けられている。
 私はその番組を見て以来、一度はホールで聞いてみたいと思い続けていた。三月の末に彼のチャリティ・コンサートの新聞記事を見つけ、しかも会場は大阪のザ・シンフォニーホールなので、五月の連休前に聞きに出掛けた。当日はハイドンのソナタで始まって、リスト、シューベルト、ショパンというプログラムだった。今回初めて聞いた曲も混じっていたが、プログラム全部をとてもいい曲ばかりで固めたという印象を受けた。
 アンコールの四曲を含めて二時間あまりの演奏の中に、ミスタッチと呼べるほどのものは一つもなかった。激しいリズムで両手が交差し、大きく音が飛んでも不安を感じさせない。音色が良く磨かれているし、それがさまざまに変化するから、聞いていて少しも飽きない。盲目ということを考慮しなくても、大変なテクニックの持ち主である。
 彼の音は適度な潤いを持って大変に官能的だ。高音は輝かしくはあっても耳を突き刺さないし、低音も丸く柔らかく良く響く。おかしな連想かもしれないが、田植えが終わって一面の風にそよいでいる水田を思い浮かべた。黒い土や豊かな水の上を渡って来た爽やかな風。東洋人の私としてはこの感覚は大変に快い。
 梯さんは、最初のハイドンではほんの少し居心地の悪さを感じさせた。聴衆の耳にどれだけの響きが届いているのかまだ掴みきれていないという感じがした。二曲目から後はそんな不安も解消されて、ピアノの音は十分な説得力を持って悠々と響いた。何しろ優秀なホールだから、どんな小さな音でも最後まで音の形が壊れない。広い空間の隅々にまで行き渡って消えていく豊かな音を聞いていると、もう旋律も和声もどうでもいいような気分になってしまった。

 生後一ヶ月で視覚を失った梯さんは、どうやって外の世界と交信をするのだろう。
私がたとえ二三日目を瞑ったまま生活したとしても、そんなことで彼の本当の不自由が体験出来るわけでもない。人間の頭の中には今まで目にした風景の記憶が生きている。
我々はそういう過去に見た物の記憶を手掛かりにして、言葉を媒体として他者と交信を行っている。梯さんは手で触れることの出来ない大きなもの、たとえば『山』とか『海』とか『空』の全体を思い浮かべることは不可能に近いのではないだろうか。あなたなら、彼にどうやってそれを説明しますか?
 しかし、生まれて間もない赤ん坊にとって一番大切なものは何だろう。それは母親の胸だ。乳房の感触や肌の暖かさだ。母乳うぃ通して栄養を取り入れ、血液を循環させて生きて行くことだ。この生物としての感覚を彼と共有出来ないということは決してない。そこで物を言っているのは、視覚よりむしろ聴覚や触覚の方だ。
梯さんは我々の及びもつかないような鋭さでそれを身につけている。彼の演奏からは、体温を持った人間の息遣いがストレートに感じ取れる。
 目の見えない梯さんはお母さんに手を引かれてステージに現れる。その足取りはまるで小学生が遠足に出掛ける時のように弾んでいて、ホールには柔らかな笑いが広がった。
この人はやっぱり二十歳そこそこの若者なのだ。そこで舞台の上と客席の間にまず交流が生まれる。そして、自分の生み出す音に対する聴衆の微かな反応を彼は決して聞き逃さない。それが彼の言葉で、会話の手段なのだから。

 コンクールの三次予選で彼の弾いたショパンは、常識外れの遅さだった。結果的にはそれが審査員に受け入れられず、彼はそこで落選した。しかし、これは何と美しい祈りに満ちた演奏だったろう。一つ一つの音が同じ重みを持って弾きこまれ、その全部が煌めいている。すべての響きをきちんと聞き取るためには、どうしてもこの遅いテンポが必要だったのだ。優勝したピアニストも同じ曲を弾いたが、それは模範的に演奏されているだけで私には何も響いて来なかった。
 カメラは、梯さんの演奏を聞いているワルシャワの人々の姿を映し出していた。その中に初老の修道女がいて、彼女は両手を組み合わせて祈りを捧げるような格好で、一心に梯さんの演奏に聞き入っていた。美しい演奏は誰が聞いても分かる。それが分からない耳しか持っていないのだったら。審査なんかやめてしまえばいい。心の深いところを突き通してくるようなこの音の美しさにはとても抵抗出来ない。隣に座っていた小学生の男の子の手前かなりな我慢はしたが、アンコールの『雨だれ』に至って私は涙を流した。

 今回の演奏会は小児がん患者への支援として行われた。梯さん自身、新聞のインタヴューの中で《がんが再発した十三歳のころから、音楽を続けることで人の役に立てたらうれしいなと思ってきました。生きがいがあると、病気が良くなるような気がします。基金が同じ病気を持つ子どもたちの励みになれば》と語っている。
 ひょっとしたら彼の持ち時間はいんと限られているのかもしれない。そんなことを考えながら音楽を聞くのは、自分だけが安全な場所で高みの見物をしているようでとても気がひける。しかし、やはり聞かずにはいられない。正直に言うと、彼の病気が再発しているという新聞記事を読まなければ今回大阪までは出掛けなかったと思う。このチャンスを逃したら次は無いかもしれないという気持ちがあった。作曲家も演奏家も、自分の死期が近づいていることを悟った時には特別の音楽を作ることがある。たとえばR.シュトラウスの《四つの最後の歌》。ディヌ・リパッティのブザンソン音楽祭の告別演奏会。そういう音楽の異常な緊迫感を味わうと、通常の音楽がまるで気の抜けたものに思えてしまう。その一方では、他人の不幸を肴にしているような後ろめたい気持ちも拭い去ることは出来ない。演奏者がぎりぎりの状態の追い込まれていても、聞き手はそうではない。同情することは出来ても、死に瀕した人と同じ立場には立てない。考えて見ればこれは音楽だけの問題ではなさそうだ。どんなに優れた小説を読んでも、完全に作中世界に同化する訳にはいかないだろう。
 しかし、この何年か《今のうちだぞ》という気持ちが次第に大きくなって来た。
この演奏はいつかまた聞ける、この本は後で読んだらいいなんて思っていると、一年くらいすぐ経ってしまう。逃がした魚は大きい。味わおうと思った時に欲張っておかないと、後で絶対に後悔する。重い病気を体内に抱えていることがはっきりとしている人と、当面そういう不安はない人間とを一緒には出来ないが、自分自身の足元もいつかふいに崩れるかもしれないのだ。
 音楽を聞いて感動したってそれはそれだけのことで、明日から立派な人間になれるなんてことはない。翌日からまたいつもの仕事が待っている。しかし、音楽の感動は意外にしぶとい。詰まらないミスをしてむしゃくしゃしている時や、不景気なニュースを聞いて気が滅入っている時なんかに、そいつが《まあ世の中そんなに悪いことばかりでもないよ》という感じで肩を叩く。ああそうかな、と思うことが出来たらとりあえずその夜はセーフである。一晩経てば何とか対策も思いつくだろう。
 手と足の長い、飄々とした梯さんの姿が目に焼き付いている。いつまでも鳴り止まぬ拍手に対して、律儀に六方にお辞儀を繰り返す姿を忘れることが出来ない。
どうか、彼の上に少しでも長い時間が齎されますように。あの仄かな温もりを持った音で今度はブラームスの間奏曲を聞きたい。それが目下の切実な願いである。

 

 




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