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ちょっと待ってねん。



第28回音萌の会演奏会に寄せて                音萌の会会長 尾崎 光芳

 音萌の会の第1回目の演奏会は、前年からの石油危機の影響色濃い昭和49年8月15日に開催された。世間はユリ・ゲラーに端を発する超能力ブームに沸き、ネコも杓子もスプーンを曲げようと指先で擦ったり、空中に放り投げたりしていた頃である。現在「お年頃」の若手会員達はほとんど生まれてすらいない訳で、一言で28回といってもその一言で済ませるにはあまりにその道のりは長い。
 私自身は草創期を知っているわけではないので、当時を知る大先輩から伝え聞くしかないのだが、その頃は全員が若く、ほぼ全員がヒマだったということもあり、随分と精力的な活動ぶりだったらしい。夏休みになると(地元学生は普段の放課後から)校内にはOBがあまた出没し、新旧の「音楽バ○」たちの熱気で、暑い夏が余計暑苦しかったとのこと。当然OBも現役も入り混じって音楽に遊びに熱中しており、若き音萌の会が順調に発展していくのは、まあ、当然といえば当然の流れだったという話だ。
 時は流れ、音萌の会も人数だけは順調に発展してきた。しかし一方で、OBと現役たち、それから若手会員達の年齢差が大きくなるに従い、音萌の会も様々な紆余曲折を経てきた。本会は音楽繋がりなんだということを確認する唯一の手段である夏の演奏会もその開催が危ぶまれたことはニ度や三度ではない。内部分裂を図るグループ、演奏会偏重に対する不満、音萌の会の存在意義自体への疑問、運営陣の後継者不足による高齢化、等々、挙げれば数限りなく出てきそうだ。
 今考えれば、「(会自体が)若かったなぁ」というのが正直なところ。これらの紆余曲折は、組織であれば、そしてその発展を望むなら、避けては通れない道だと思う。その度に却ってトラブルへの抵抗力が備わっていったんじゃないかな。
 音萌の会は、現役吹奏楽部への助力と会員相互の親睦を目的として組織された、あくまでも自主的な集まりである。活動歴は30年に手が届こうとしている。1回も欠かさずに開いてきた夏の演奏会は、今年で28回目を数えることとなった。会員同士縁あって結婚した者もおり、そのカップルの子供が、両親と同じ道を歩んで既に会員となっていたりもする。
 願わくば、この諸先輩が、そして自分達が或いは後輩達が積み重ねてきた人の輪を壊すことなく、更に若い後輩達に受け継いでければと思う。高校時代、気の遠くなるような暑さの中で、滝のように滴る汗を拭き拭き、先生の棒に食らいついていった共通の思い出とともに。そして、その暑い夏の青春の一齣の、老若男女入り乱れ、時空を越えた今様の再現が今宵の演奏会なのだ。

 さあ、今年もとびきり暑い夏がやってきたぜ!





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