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会長あいさつ。死語多用。

音萌の会第三十四回演奏会によせて

音萌の会会長  尾崎 光芳(S59年卒)


 
ご承知のとおり、音萌の会は松山東高等学校の吹奏楽部(昔は音楽部の吹奏楽と称した)のOB・OG会である。現役高校生が卒業すると、晴れて音萌の会のメンバーに名を連ねるわけだ。
 もっとも、やむにやまれぬ事情で部活を途中で辞めてしまったり(音萌はそれでも参加資格はあるのだが)、卒業後は自分の道を邁進して、楽器や音楽からすっかり遠ざかって行く者も意外に多い。
 特に働き盛りのモーレツ社員(え、これ死語?)の世代にはそう云う者が多い。更には、そういうモーレツ氏と結婚した女性は、子育てに翻弄され、「お受験」に執心し、習い事や趣味のお教室、ママ友達との茶飲み話から、キャリアアップのための勉強、再就職・・・と、モーレツ氏以上のオイソガ氏(何、これも死語?)で、自分が遥か昔(言葉の綾ですのでご容赦を・・)楽器を手に、熱中症にかかっちゃうほど暑い校舎で意外に青春していたなんてことは記憶の片隅の天袋に仕舞い込んで、ハッと気がつきゃ、子供はとっくに巣立って自分以上のシタタカ嫁の巨大な尻にすっかり敷かれ、実家には盆暮れすら顔を出さず、ふと隣を見ればカイシャに全てを絞り尽くされた挙句、アッサリとリストラの憂き目に遭い、昔の颯爽たるスーツ姿はどこへやら、しょぼくれて、新聞社の整理部員よりも紙面に詳しいくらい新聞をタテヨコナナメに読み尽くす夫しか居ない・・・・・・のかどうかは全て私の妄想なので全く詳らかではない。
 でも最近は、生活に翻弄されつつも、自分が数十年前に確かに同じ場所で、甘酸っぱい思いをしていたあの場所で、数十年前(十数年前くらいにしておきましょうかね)の自分と重なり合う若者達が奮闘している成果が耳に入ってくる。

 (以下回想)「○番 愛媛県立松山東高等学校・・・A(当時は「ゴールド金賞」などという呼称は考案されてなかった)きゃーーーーーーーーー!!!!!!!!!」なんて、今ではキッチンにゴキブリが出ても上げないような悲鳴をあげ、「それでは、8月△△日に□■県で開催される四国支部大会への推薦団体を発表します。・・・○番、まつや・・どぅわきゃーーーーーーーー!!!!!!!!!!」と、ひょっとしたら「松嶋菜々子」と言いたかったのかも知れない連盟事務局担当者の声を圧倒する嬌声を発し、披露宴の両親への手紙の朗読のときにすらそこまで流しはしなかった涙をいつまでもいつまでも流した。(回想終わり)

・・・そんなセピア色の光景が瞼の裏に浮かぶ。

 今年は昔の強さを取り戻した・・いや、すでにそれすら圧倒しているであろう現役たちの演奏を聴いてみようかな、ついでに楽器も引っ張り出してステージに上がってみようかしら。
 会員の親睦と現役の後援が音萌の会のそもそもの目的ではあるものの、そんなセピア色の思い出と、総天然色のついこの間の思い出とをコラボレートして、現実世界では考えられないような、表現不能の色彩を表現する演奏会、音萌の会が、運営等の危機的状況に幾度も幾度も幾度も幾度もさらされながら、それでも厭きもせず毎年夏の演奏会を開催して、いつの間にか34回目になるのは、そんな現実社会では実現不可能な体験が、えもいわれぬ快感なのだと、今年で音萌1年生のときから数えると24回目のステージに上がっている筆者は思っている。

 コンクールで勝った/負けた、○○大会に行ったというのも、そのときにしか味わえない思い出ではある。でも音楽はそんなちっぽけなものではない。客席で聴いていると。聴いたこと無いからわかんないが。少なくとも演奏している側からすると、あらゆる(客観的には)不純なピッチ、どう考えてもタイミングの合ってない「ジャン!(或いはぐわしゃ!)」のひとつひとつは、セピア色の思い出を総天然色3Dの時代にリメイクした、味わいのある音楽なのだと、思いっきり身内である私は思っている。





   
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