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あいさつ重い…。

会長あいさつ

 S47年卒 井手 浩一

 音萌の会は1973年の夏33名の会員で発足しました。1973年はアメリカがヴィエトナム戦争で史上初の敗北を喫し、東西ドイツが国際連合に加盟を承認された年です。《1973》からは村上春樹の『1973年のピンボール』を連想しますが、作品が実際に執筆されたのは1980年のことでした。当初はここまで続くとは誰も想像せず、こうと知ったら詳しい記録を残しておくべきだったと思いますが、その時々で集まれるメンバーで運営して結果的に40回目が来ただけなので、大袈裟に振り返る必要もないのでしょう。
 我々の共通点は高校の3年間を同じクラブで過ごしたという一点です。その青春の一時期を脳裏に固定して、エンドレステープのように再生しているのかもしれません。それはあたかも《時間よ止まれ》と叫んだファウストを思わせます。ゲーテの『ファウスト』にこんな一節があります。ファウストとメフィストフェレスの賭けのシーンです。

 己(ファウスト)が或る《刹那》に《まあ、待て、お前は実に美しいから》と云った
 ら、お前(メフィストフェレス)は己を縛り上げてくれても好い。己はそれ切滅びて
 も好い。葬の鐘が鳴るだらう。君の奉公がおしまひになるだろう。時計が止まって針
 が落ちるだらう。己の一代はそれまでだ。(森鴎外訳)※刹那=瞬間

 ファウストはグレートヘン(嬰児殺しの罪に問われて処刑される)との愛と、自らの魂とは秤に掛けませんでした。しかし終幕で広大な土地=永久の繁栄を望んで賭けに負け、悪魔のワナから逃れられませんでした。この寓話からすると、毎年集まっては演奏を繰り返している我々は、とっくに地獄に落とされても不思議ではない筈です。でもそうではないところからすると、悪魔にも見放されたのでしょうか。
 音楽は脆くて儚いものです。ああ、美しいなあ‥‥と思っても、次の瞬間にはスッと消えていきます。録音に残してもその場に居合わせた記憶は甦りますが、同じ感動を再現することは難しいです。だから今度こそ、次の演奏こそ‥‥と思い続ける訳で、そういうしつこい輩は、もう勝手に遊んでろ、ということでしょうね。池に映った月を取ろうとしても手が届かない子供と一緒です。
 ただこの40年我々が集まって来られたのは、母校で音楽の炎が絶えないからです。歴代の顧問の先生方と高校生たちがそれを守ってくれたからです。今年はその歴史に新たな一コマが加わりました。コンクールの本番も品格豊かな名演奏でしたが、私自身はその半月前、海の日に聞いた響きを心に刻んでおきたいと思っています。四方を奏者に囲まれ全身を豊麗なサウンドに包まれた時に《俺はこの瞬間のために生きて来たのかもしれない》と感じました。そこで《まあ、待て、お前は実に美しいから》と言えなかったのが残念ですが、もう暫くは諦め悪く生きて、母校と仲間の音楽を楽しみたいと思います。
 今年の3年生は本当に良くやりました。大学へ進めば演奏を続けられないメンバーも居るかもしれませんが、この過渡期は彼らでなければ切り抜けられなかったと思います。橋本先生を中心にした『青銅の騎士』は、新しい出発を飾るにふさわしい名演でした。広いホールがシンと静まり返った時に、自分が松山東高吹奏楽部のOBであることを心から誇りに思いました。だから、胸を張れ。あの演奏と3年間の想い出を宝物にして、次の目標に立ち向かって下さい。







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