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あいさつ長い…音萌のプログラムは読むところがいっぱい。
第3部
<指揮者紹介>

●浜辺英夫先生
 浜辺先生には平成18年より高校3年間を通してお世話になりました。浜辺先生のことを思い返してみると、パッと思い浮かぶのは、実は、指揮棒を持って指揮をされているごくごく日常のお姿です。扉を外した教室、図書館、体育館、市民会館、キャメリアホール、県文(ひめぎんホールという響きにはどうもまだ馴染めません(泣))、県文の地下練習室などなど。おもしろいのは、吹奏楽部なのに音楽室での合奏が一度もないということです。1年のときに書道を選択した私にとって、3年間で音楽室に入ったのは自由曲を選ぶときくらいですね。
話がそれましたが、指揮者としての浜辺先生が一番印象に残っています。そりゃ当たり前ですよね、そのときほど浜辺先生を凝視することはありませんから。夏にはタオルを必ず持参され、汗をふきながら指揮をされていました。部員の誰よりも汗をかいているのでは、と思われるくらい汗をかいておられましたが、それほど本気で向かい合って下さっていたんだなぁと改めて頭が下がる思いです。また浜辺先生は、指揮を始められるときに、私達に向かって微笑んで下さっていた記憶があります。大会などでも、その笑顔を見てリラックスして演奏できたのを覚えています。S美高校の野球部の監督同様、「浜辺スマイル」の威力は偉大でしたね。他にも、私が1年時の定期演奏会では、指揮の途中でくるりとふりむいて、歌を歌って下ったりもしました。(もちろん私達側からの企画・提案ですよ!)3部かけもちという想像もつかない忙しさの中、笑顔の絶えない浜辺先生を心から尊敬し、「ついていきます!」と思うようになるのに、そう時間はかかりませんでした。きっとこのような思いを部員の誰もが抱いていたと思います。
 また私達の時代には、本館建て替え工事が行われていました。独房を経験した最後の世代で、知ってる人は知っている、西体育館が音楽室になったりもしました。時期によっては正門前や東体育館前を楽器を持って通った時もあります。部員もそれなりに大変でしたが、浜辺先生はそれ以上に大変だったと思います。夏は暑く冬は寒い西体育館で長時間過ごし、本館から西体育館、西体育館から新本館への2回もの大移動を行ったのですから。旧本館や西体育館の音楽準備室で黙々とお仕事をされていた背中をいまでも覚えています。そして卒業してから行った新本館の、広くてきれいな音楽準備室を見て、これで快適にお仕事して頂ける、となぜだかホッとしたのを覚えています。
 振り返ってみて今改めて思うのは、3年間浜辺先生にご指導頂いて、本当に幸せだったということです。自由な私達の意見を尊重して下さりつつも、浜辺先生自身にも信念がおありで、その相乗効果で、誰にとっても悔いのない東高サウンドを奏でることができたんだと思います。どの高校へ行っても、そのままの浜辺先生でいて下さい。そしてどうぞお身体を大事になさって、いつまでもお元気でいて下さい。
                                      H21年卒 川原美緒
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 突然ですが浜辺先生といえば、やはり超人先生のイメージが強いのではないでしょうか。
 我らが吹奏楽部だけでなく合唱部と弦楽部を掛け持ちし、
どの部に対しても凄まじい時間と情熱を注いでおられていたから驚きです。
合唱部OB・弦楽部OBの友人と話しているといつもビックリします。ほんとにお一人だったんですかね…?
 特に印象的だったのはいつだったかのコミセンでのホール練習(おそらくコンクール練習)での一幕。練習が終わり、浜辺先生から「ちょっと自転車貸して~」と声をかけられました。(なんで今自転車…?)と思いつつ鍵をお貸しすると、そのままどこかへと向かう浜辺先生。話を聞いていると合唱部コンクールの本番があったそうで、吹奏楽部のホール練習を終えてそのまま市民会館に向かった…のこと。頭が上がらないなあ…と学生の立場ながら思いました。ほんとにスーパーマンですね。
 あと個人的には授業中の浜辺先生の姿も印象的です。高校生になりなんとなーく合唱のやる気が落ちてきた学生も浜辺先生の手にかかれば爽やかな?歌声が音楽室に響きはじめます。あんなイイ笑顔で前に立たれたら誰でも歌いたくなりますねー。流石です。
 筆者は諸々の事情で演奏会に行けないので、会場にいらっしゃる皆さんは先生のダイナミック且つ繊細な指揮を存分にお楽しみください!
                                    H22年卒 嶋之内 猛

●井手 浩一 (S47年卒)
ネモペディア
還暦【意味】60年で干支が一回りして生まれた年の干支にかえることをいい、数えで61歳を指す。
音萌の会はめでたく第40回の演奏会を迎えました。
井手会長およびトランペットの河野邦明さんは還暦です。
井手さんの60年の人生にあったであろうことを振り返ってみましょう。
10歳のころ
「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」としてアメリカで大ヒット
「007は殺しの番号」公開、黒部ダム完成、バーモントカレー発売
20歳のころ
ルパン三世アニメ化、チューリップ結成、「ブラック・ジャック」連載開始、カシオミニ発売
30歳のころ
ファミコン登場、東京ディズニー・リゾート開業、
「機動戦士ガンダム」・「超時空要塞マクロス」・「装甲騎兵ボトムズ」放送開始
40歳のころ
「FINAL FANTASY」・「桃太郎電鉄」発売、「金田一少年の事件簿」連載開始、Jリーグ創設
50歳のころ
六本木ヒルズ開業、「冬のソナタ」放送開始
さあ、今回の音萌の演奏会は井手さんの歴史に残るのか、無かったことにされてしまうのか!?








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