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思い出は珈琲の香りの中に。

〜矢野慶三先生を悼んで〜

  矢野先生、おいしいコーヒーを、飲んでいらっしゃいますか?
吹奏楽部の幹部でもなかった私が、先生との思い出を語っていいものかと悩みましたが、せっかくの機会を頂いたので、先生、少しだけ思い出話をさせて下さいね。
松山東高校に入学してすぐ、先生に教えて頂いたことは、吹奏楽ではなく、校歌でしたね。歌い出しの「眉きよ〜ら〜か〜に〜」の言葉を大切に歌うよう、ご指導頂きました。先生の素敵なお声が心地良く、とても素敵でした。
程なくして、吹奏楽部でお世話になりました。夏の暑い日には、バミューダーパンツに着替えられ、指揮棒を振っていらっしゃいました。情熱的な指導の末に、折れてしまった指揮棒もありましたよね。普段のクールな感じと違って、音楽を追求する先生は、迫力がありました。また、先生の独創的な音楽表現も、印象に残っています。「それは、トマトじゃあ!(トマトがつぶれたような、ぺしゃんこな音を出すな!)」という先生の名言。この言葉は、今でも同期の間で、語り種になっています。
ある同期は「矢野先生は『たこ焼きを食べる時に、爪楊枝1本では回転してしまうので、2本でなくてはダメ』とおっしゃっていた」と話していました。そんなお茶目なこだわりも、お持ちだったのですね。
そして、先生が大好きだったコーヒー。未だに、コーヒーの香りがすると、音楽準備室で頂いた時のことを思い出します。先生のコーヒー、また、みんなで飲みたかったです。心からご冥福をお祈りいたします。
 
                                  平成元年卒 合田みゆき

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前略
 矢野慶三先生、今年も、また暑い夏がやってきました。
先生が、白いTシャツと短パン姿で指揮を振られていた頃も、毎日、本当に暑かったです。あの頃、大会前は、柔道場にブルーシートを敷き雛壇を作って合奏をしたり、明教館で合奏をしたりしたことが思い出されます。先生は、「味噌汁の具」や「饅頭の餡子」に例えて、よくハーモニーの話をされていましたね。私はホルンパートでしたから、「餡子が小さい!」と指摘され、音量やピッチを高めにとったり低めにとったりする感覚がなかなかつかめず、よく苦笑いしていました。
 先生が、松山東高等学校で教鞭を執られているころは、合唱部と吹奏楽部の掛け持ちでの指導、また、通信制と普通科との授業、そして弦楽部の立ち上げなど、精力的に動かれていたのだなと、同じ教員になって改めて思います。
夏は、吹奏楽部、合唱部ともにコンクールがあり、お盆には「音萌の会」そして合唱部のOB会「樫の木」の演奏会があり、学校が休みにも関わらず、授業日以上に忙しかったのでは?と、今になって、先生が私たちに多くの時間を割いてくれていたことに、ようやく気付いたところです。
 先生の訃報を聞いたのは、寒い冬でした。音萌の会演奏会でショスタコーヴィチの「祝典序曲」を指揮して頂いたときにお会いしたのが最後になってしまったのが残念です。
 私が現役のとき、音楽準備室に行くと、机の上に「尾崎豊」のテープがあり、「こんな曲も聞くんだ!」と、先生の意外な一面を見たような気がしました。そして、私が現役のときも、教員となって同じ学校で勤務したときも、コーヒーを味わっていた先生の姿が記憶に残っています。同じ学校を離任する際にご馳走して頂いたコーヒーの味は忘れられません。これからは、好きな音楽、そして、好きなコーヒーをゆっくりと味わってください。
 今日は、音萌の会らしく「アニュス・デイ」を演奏します。出来不出来はさておき、楽しんでいただけたら幸いです。
 慶三先生、本当にありがとうございました。 
                                               草々
                                       平成25年8月16日
                                   平成6年卒 辰段久美子






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