坂出エクロジャイト展示場(香川県坂出市)

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 小生の生まれ育った町、香川県坂出。昨年(2011年)夏、お盆で帰省していた折り、夕風の涼しさに誘われて懐かしい町並を観察がてら市内の散歩に出かけた。駅前通りに差しかかると“人工土地”と“坂出市市民ホール”の傍らを通る。市の中心とは言え午後7時を過ぎると人影も疎らで商店街もほとんどのシャッターが下りて往年の賑わいも今は見られない。番正辰雄市長の胸像を見ながら、成人式に出席した35年前の事どもや、瀬戸大橋開通に沸いた激動の時代を思い出しつつそのまま通り過ぎようとした刹那、車止めに使用されている縁石を見て眼が釘付けになった。・・・エクロジャイトだ?!・・・上写真のように20個ほどの石が整然と並べられ、程良く研磨されている。美しく晶出した鉄礬柘榴石やオンファス輝石と石英の縞状構造は紛れもなく“瀬場帯”エクロジャイトの見事な標本で、人目も憚らず、座り込みながら一個一個じっくりと観察していった。薄暗い街灯の下で一心不乱に路傍の石に魅入っている我が姿を人が見れば、さぞや奇異に感じて「市民ホール前に変なオッサンが居る。」と警察に通報されても何ら不思議ではなかったろう・・

 下写真は同敷地にある「人工土地」の記念碑。その側面はさらに綺麗に研磨され、岩石の内部の様子がよくわかる。その美しさは愛媛県新居浜市別子山にある“第6回国際エクロジャイト会議”記念碑(筏津山荘も含む)と双璧をなすものである。逆に言えば、このレベルの大きな標本はこの2ヶ所以外にはないと断言してもいいだろう・・・そういう訳で、今回はエクロジャイトにつき小生が知るところをできるだけ平易に述べつつ坂出市の縁石について紹介し、機を改めてエクロジャイトの本場、愛媛県東予における展示の現状を報告したいと思う。

蛇足ながら・・坂出市の「人工土地」は40年以上前に一世を風靡した建築家、大高正人の都市型モデル建築である。塩田盛業の頃、この辺りは塩田の労働従事者が多く暮らす巨大な長屋街であった(通称、ハーモニカ長屋)。鉱山住宅と同じで極めて狭隘な上、共同の風呂場や便所がそこかしこにあり路地も迷路の如く、衛生状態も治安も決して良好とは言えなかった。しかし、坂出駅前という好立地を活かすため、瀬戸大橋開通までに四国の玄関としての体裁を整え、車社会にも対応させるため、全市を挙げて取り組んだのがこの人工土地である。空間は全て鉄筋の共有地とし、一階部分を駐車場と店舗に、2階以上をアパート式の集合住宅とする当時としては画期的な構造で、全国からも見学者が絶えなかったという。今から見ればマンションなどによく見られる、別にどうってことはない土地の有効活用法だが、何事も“最初”というのが肝心で、priority という点では坂出の誇りとして永く語り継がれて良いものだろう。(ただアパートに風呂がないというのは、先見さを欠く千慮の一失ともいうべき短所で、老朽化が進んだ今日では入居希望者も少なくガラガラ状態だという。)この石碑は、そんな人工土地の完成を記念して建立されたもので、おそらく市民ホールと同じ昭和50年頃の設置と思われる。表面に「人工土地」と刻まれただけで裏に由来や説明の銘文もなく、なんとも不思議な石碑ではあるが・・いずれにせよ、今は忘れられようとしている坂出の“誇り”が、世界に誇れるエクロジャイトで伝えられていくその不思議な因縁を、鉱物を趣味とする小生としては少し嬉しくも感じるのである。

 

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 以下、エクロジャイトについて、できるだけ平易に高校の教科書レベルで説明してみようと思う。それは、エクロジャイトがスゴい岩石だと言うが、どこがスゴいのかがわからない、とか、鉄礬柘榴石を含む角閃岩との違いがよく理解できない、と言う方が以外に多いからである。とは言うものの、小生も地学は全くの素人で他人に教えるほどの能力はない。とんでもない思い違いや誤りをしているかもしれない。そうした箇所について忌憚のないご指摘を賜われば、と思っている。

 

【まず、エクロジャイトとは何か?】

 

 地球は、地震波の解析から、内部を構成する流動体の“マントル”と、最外殻の(極々薄い)固体の“地殻”とに分かれ、その境界は“モホロビチッチの不連続面”(略してモホとも言う)で明瞭に区別されることがわかっている。地殻の岩石は、ケイ素を4個の酸素で正四面体状に囲んだ“ケイ酸”と呼ばれる構造を基本としており、それに鉄やマグネシウムなどの金属イオンを規則正しく配位したケイ酸塩複合体の、カンラン石、輝石、角閃石、長石、石英といった造岩鉱物で構成されている。下表はそれを纏めたものである。(分子構造は、「ケイ酸塩鉱物の立体模型製作」から転載させていただきました。)

 

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ケイ酸

ケイ酸は、全ての岩石・鉱物の基本。地球でもっともありふれた分子だが、正四面体構造は数学的にも面白い性質に満ちている。空間充填で有名なエッシャーの絵も正四面体から簡単に作ることができる。

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カンラン石

柘榴石

ケイ酸四面体が互いに独立して存在してルーズなクーロン結合や分子間結合をしている。それにマグネシウムイオンや二価の鉄イオンなどが結合して作られる。「ネソケイ酸塩」とも呼ばれる。

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輝石

ケイ酸四面体が、それぞれ2個の酸素原子を共有結合して鎖状になったもの。それにマグネシウムイオンや二価の鉄イオンなどが結合して作られる。「単鎖イソケイ酸塩」とも呼ばれる。

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角閃石

鎖状になったケイ酸四面体が、さらに対になって共有結合して二重鎖になったもの。それにマグネシウムイオンや二価の鉄イオンなどが結合して作られる。「複鎖イソケイ酸」とも呼ばれる。

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雲母

蛇紋岩、滑石

ケイ酸四面体が、それぞれ3個の酸素原子を共有結合して平面状に連なったもの。それにマグネシウムイオンや二価の鉄イオンなどが結合して作られる。「フェロケイ酸塩」とも呼ばれる。

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石英

長石、準長石

ケイ酸四面体が、それぞれ4個の酸素原子を共有結合して立体網状に連なったもの。それにマグネシウムイオンや二価の鉄イオンなどが結合して作られる。「テクトケイ酸塩」とも呼ばれる。

 

 いかがだろうか?勿論、造岩鉱物はこれらに水酸基をはじめ、NaやKなどの金属イオンも加わるためさらに複雑で、角閃石グループだけでも60種類以上の鉱物が知られているのだが、その基本は規則的で至って簡単であるのがおわかりだろう。

 エクロジャイトは、地殻下部あるいはマントル上部の高温高圧な状態で存在しているとされ、とても重い岩石で“榴輝岩”とも呼ばれ、地表に現れることは非常に少ないが、構成成分はすべて上に挙げたケイ酸塩の単純な組み合わせに過ぎない。小生の知っているだけでも下記のような種類がある。詳しくは東予編で再度、紹介予定である。

 

    単斜輝石+苦礬柘榴石( garnet clinopyroxenite )・・・権現越を中心に分布する苦礬柘榴石の美しいエクロジャイト。

    斜方輝石+柘榴石など( granulite )・・・輝石や石英が名の通り顆粒状をなし、主として西五良津体から得られる。

    角閃石+鉄礬柘榴石 ( hornblende eclogite )・・・もっとも角閃岩と紛らわしい種類。詳細は成分分析による。

    石英+鉄礬柘榴石 ( quartz eclogite )・・・石英を多く含むタイプ。有名な“権現岩”もこの岩石で出来ている。

    オンファス輝石+鉄礬柘榴石( omphacite )・・・単斜輝石とヒスイ輝石に富む高圧下の生成で、瀬場帯の中心をなす。

 

   【なぜ、エクロジャイトは貴重なのか?そして、どこが謎なのか?】

 

 そうした地殻下部やマントル上部の岩石が、どうしてそんなに珍しいのであろうか?エクロジャイトは、もともと地表にあった玄武岩などが、プレートテクトニクスの地殻の沈み込みに引きずられる恰好で地下100kmほどまで達し、そこの高温高圧の環境で生成したものと考えられている(下図左)。そのあたりの岩石相は下図右(「地学」小島丈児 共立出版 2008より引用)の通りで、エクロジャイトは、高温相のグラニュライトと、高圧相の藍閃石片岩の中間あたりで安定となっているのがわかる。名古屋大学の榎並教授は、低温高圧の状態で沈み込んでいったことを、柘榴石に含まれるアルミニウム含有量の解析から解明されている。しかし、もっとも重要な問題は、そうした岩石がどうして再び地表に現れたかということである。もちろん、三波川帯の結晶片岩なども地殻の深いところから造山運動で盛り上がってきた訳だし、火山の溶岩だって深部から湧き出してくるのだから別に不思議ではないと思われるかもしれないが、そうした時間をかけてゆっくりと温度と圧力が下がる場合は、岩石相が安定的に転移して、より低温低圧相の緑色片岩や角閃岩に変わってしまうのである。溶岩なども、深成岩の斑糲岩や閃緑岩には輝石やカンラン石の比率が高いのに対し、より浅い花崗岩になると長石や石英、雲母に変化してしまうのも、そのあたりの事情をよく説明していると思われる。エクロジャイトのままで地表に現れるには相転移以上に急速に浮かび上がってくる必要があり、そのメカニズムこそが最大の謎なのだ。第一、マントルを形成するカンラン岩やエクロジャイトは先に述べたように非常に重い物質で、そう簡単には浮き上がってはこない。未だ“百家争鳴”の状態、とは榎並先生のお言葉だが、蛇紋岩に含まれる水による浮力説などが有力視されているようである。傍らに東赤石の大きなカンラン岩体を伴っていることも何か示唆に富んでいるようにも思われる。ともあれ、エクロジャイトが地表に露出している場所は世界でも10数ヶ所しかなく、日本では愛媛県東赤石地域、徳島県高越地域、新潟県糸魚川地域の3ヶ所が知られているに過ぎず、産出量だけ見ても極めて稀少な貴重な岩石と言うことができるだろう!

 

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   【エクロジャイトで何がわかるのか?】

 

 エクロジャイトは、地殻深部や上部マントルを構成する岩石だから、それを解析することによって地下100km以上の情報を得ることができる。またプレート境界の沈み込みの先端がどれくらいの温度と圧力なのかを推定することもできる。我々の足下は、わかっているようで何もわかっていないというのが正直なところで、それを解明しようと、古くはモホール計画と呼ばれる海底ボーリング調査や、最近はライザー式科学掘削船「ちきゅう」をはじめ世界中の地質学者が凌ぎを削っているのである。地球の内部構造を解明することは、巨大地震の発生メカニズムや地球規模の環境変化の予測にも役立ち、鉱物資源開発という大きな目標もある。それらを、地上に居ながらにして研究できるエクロジャイト産地は、地球が我々人類に与えてくれた最高の賜物と言っても過言ではないだろう。

 また、地下でダイヤモンドができる境界線は、藍閃石片岩とエクロジャイト相を横断している。四国でのダイヤモンドのセンセーショナルな発見は、玄武岩に捕獲された苦土カンラン石中であったが、エクロジャイトから発見される可能性もまだまだ棄てたものではないことがわかってきている。そうした超高温変成岩や超高圧変成岩の痕跡も五良津角閃岩帯から最近見つかったそうだから、この地域でのダイヤモンド発見ももはや時間の問題かもしれない(「変成・変形作用」日本地質学会編 共立出版 2004)。そうなれば、ちょっとスゴいことになるだろう・・

 

   【坂出エクロジャイト展示場の標本】

 

 市民ホール前の縁石標本の写真を何点か挙げておく。おそらく2つの大きな岩体から切り出したもので、2種類に分けることができる。ひとつはオンファス輝石の緑と鉄礬柘榴石の晶出が美しい瀬場帯の標本と思われるもの。もう一つは柘榴石も不明瞭で、角閃岩優位と思われる標本である。こうした岩石標本は、叩き割ったままよりも切断して研磨したほうが構造もよくわかり美しさも格段にアップするのだが、専門家が見れば、あれはエクロジャイトでも何でもないよ、ということになるかもしれない。詳しくは実際に来て見ていただくことを願うのみである。

 

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縁石標本の中でも最大のもの。石英を混じる場所とそうでない場所が層状に分布している。石英部分を中心に美しい鉄礬柘榴石が晶出している。

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オンファス輝石と粒の揃った鉄礬柘榴石の晶出が美しい標本。おそらく瀬場帯のものと思われる。

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鉄礬柘榴石はほとんどなく、角閃石エクロジャイトの種類ではないかと思われる。同様のものが2,3個並んでいる。

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よく見ると層状を呈する標本。石英成分がわずかに認められる。鉄礬柘榴石も晶出している。

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上と同様、柘榴石の晶出がほとんどない標本。最初はグラニュライトかと思ったが、ホルンブレンド エクロジャイトの可能性もある。

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左の標本の一部を拡大したもの。石英の中にも鉱物らしき構造が見える。ルチルかな?とも思うが違うかもしれない。

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「人工土地」碑石の研磨面。削る必要もない側面だけを研磨したのは何故だろう?制作者は、これをエクロジャイトと知っていたのだろうか?

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よくみると、碑石の2,3ヶ所に打ち掻いたような跡がある。エクロジャイトと知っての犯行か?それとも単なる偶然か?

 

 思うに、「市民ホール」の竣工は昭和49年、「人工土地」の第4期竣工は昭和55年と記載されているから、碑石や縁石もその頃、設置されたものだろう。当時、別子山村は別子銅山閉山によって存亡の危機に立たされていた。そんな中、銅に変わる資源として注目されたのが、山に豊富に産出する角閃岩であった。今でこそ石材は中国から安価に大量に流入しているが、国交回復から10年も経たない当時の状況では、まだまだ国内資源の流通が盛んで、おそらく四国を中心に、村を挙げて石材の売り込みをしていたのではないだろうか?・・となると、此処以外にも別子産角閃岩やエクロジャイトの石材が街のそこかしこに使用されていてもおかしくはなく、そうした都市に埋もれるエクロジャイト発見の報告を戴くことを、こころから楽しみにしている。

また、新居浜のU氏のご指摘によると、備讃瀬戸大橋の橋梁を支えるケーソンと呼ばれる巨大な箱型容器内を充填する石材にも、別子産の角閃岩が使用されたという。吊り橋の“根源”たるメインストランドケーブルを双方から常に引っ張っておくアンカレイジを安定させる土台には、角閃岩のように重く強靱な岩石を使用しないと到底、ケーブルからの凄まじい張力に耐えられないからである。そのあたりの事情は、本四公団坂出事務所長、杉田秀夫氏の壮絶なドラマとして、NHKの「プロジェクトX」でも放映され、全国の人々を感動と涙の渦で包み込んだ。今も海中で瀬戸大橋を支え続けるその“夢のかけら”が、このエクロジャイトの縁石と言うのなら、此処にあるのが如何にも相応しいようにも思われて、小生をこの上なく嬉しく愛おしい気分にさせてくれる。

 さらに下は、“広報さかいで”(平成19年2月号)に掲載された成人式の写真。モノクロで明瞭さを欠いているのは恐縮だが、華やかな晴れ着の娘さん達に囲まれてかの縁石が神妙に鎮座している。東赤石の山中で風雨に曝され人知れず眠っている仲間に比べると、何と恵まれたエクロジャイトであろうか!?・・世界に誇れるだけでなく、世界一幸福なエクロジャイトかも!・・と、ちょっぴり嫉みさえ感じるのである。

 

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