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僕と音楽

20卒 後藤直之


 僕が音楽を始めたきっかけは、四歳のときから行き始めたヤマハ音楽教室でした。そして小学三年生の時に金管バンド部の演奏を聴いてから金管バンドに感動して、入部することを決めました。小学四年生からの3年間、トランペット、ユーフォ、チューバと色んな楽器を吹きました。中学校でも吹奏楽部に入部し、一年生の時は嶋谷先生が顧問でした。そして、三年生になる前の春休みに東高とジョイントコンサートを行い、演奏会終了後、浜辺先生は自損事故を起こしました。これが浜辺先生との出会いです。そして、高校でも吹奏楽を続けて今に至るわけですが、金管バンド、吹奏楽とやって来て、たくさんの友達ができました。松下さんとは小、中、高と身長差は変わることなく一緒にたくさんの曲を演奏しました。
 9年間の金管バンド、吹奏楽で得たものは、たくさんの友達だけではありません。この間に、数えられないくらいたくさんの曲を演奏しました。小学校で一番印象に残っているのはダンスストーリーという曲です。六年生の先輩に一つ一つ教えて貰って初めて合奏に参加した曲です。
 中学校では、四国大会に出場できた三年生の時の自由曲であるハーリーヤーノシュという曲です。何度も何度も顧問の先生に注意されながら、部員みんなで作り上げた曲です。
 高校での曲は三年間でやった、3曲の自由曲です、と書きたいところですけど、浜辺先生が歌ったズンドコ節です。もちろん、一年生の時のダフクロ、二年生の時のバルトーク、三年生の時のマーラーはそれぞれに思い出があり、悔しかったダフクロ、先輩と四国に行ったバルトーク、四国に行けるとは思わなかったマーラー、一言で言ったらこんな感じです。三年生の時は全国を目指して練習を積んで、結果として行くことはできなかったけど、悔いはありません。四国では満足のいく演奏ができたからです。
 本当にそれぞれの曲に思い出がつまっています。みんなで議論しながら作っていったコンクールの曲、振り付けなどみんなで考えながら作った演奏会、全部かけがえの無い思い出です。現役の皆さんもコンクールに向けて頑張っていると思います。つらいこともたくさんあると思います。三年生にとっては最後のコンクールであり、今のメンバーで演奏できるのはコンクールが最後です(音萌もあるよ)。
 悔いの残らないよう最後まで部員みんなで頑張ってください。一日一日が大切な思い出になるはずです。





  

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