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第35回演奏会

昭和57年卒 戒能 哲雄

 皆様、演奏会、お疲れさまでした。大変お世話になりました。
 現役時代は打楽器でしたが、このたびチェロで出させていただきました。実は2回目でして、前回は20年以上前のことです。で、それ以来20年以上振りの音萌出演だったわけですが、本当に楽しませていただきました。ありがとうございました。
 このたびの演奏会について、以下、とりとめなく綴らせていただきます。

「3ヶ月前」
 このたびの出演は、音萌の掲示板(web)での高橋さん(54卒)のご提案からでした。それがなければこのたびもステージに乗ることはできなかったと思うのですが、高橋さんにそのことをお話しすると、「それに反応したからここにおるんやろ?」と返されました。…いえ、感謝してるんですけどね。
※このお坊様、本番当日、あのエプロン姿をご覧になって「コ、コスプレ?」とどもりながらおっしゃってました。

「一週間前」
 8月9日、高知県四万十町(旧窪川町)にて演奏&現地泊まり…というか朝まで飲み会。翌日(否、もう当日)、須崎市から佐川町経由で松山入りしました。
 そもそもコミュニティーセンターなんてのができたのも私が松山を離れてからのことでしたので、井手さん(47卒)の直前の電話ナビがなければ練習場(リハーサル室)にたどり着くこともできなかったでしょう。午後3時(松山時間)、外の階段を上がろうかというとき、(いじ(め)られた記憶のある(ウソ))石田さん(55卒)にお会いしてしばしごあいさつ。…帰ろうかと思いました。(ウソ)
※音萌だけかと思ってたらタクシーの運転手さんも当たり前のように「あ、コミセンですね?」なんて言ってました。…まだ馴染めません。
 廊下に入ると少し音が聞こえており、そして、ドアを開けるときは本当に緊張しました。何と言っても本当に久し振りですし、かつての(紅顔の美)少年もすでに髪の毛は無いし、しかも、こういうときというのはえてして「開けたら指揮者の真後ろ=全員が注目」という状況だったりするものだし。でも、シルバーグレイに一層の磨きがかかった井手さんの笑顔に救われました。そして、テューバの隣に陣取って20年以上振りの音萌。
※木管+ホルン・テューバという練習初期の音萌らしい編成。

「クリスマス・シーン」
 「かいのーくん、さらってきとるじゃないですかぁ」と井手さん。「まかしてください」と嘯いたりして。そりゃぁ、ちいとは見ましたよ。これほど緊張する演奏会なんてそうそうないですから。でなければ、某プロオケの人にパート譜を送ってもらったり、カット部分を抽出したり、楽譜ソフトに打ち込んで、かつ移調したり…なんてことはしませんてば。
※この練習で写譜ミスを発見。隣の塩見くん(20卒)と「B’って何小節ある?」「14小節ですが」「…ありゃあ、16ある…」なんてやり取り。

「初白鳥」
 「さあ休憩! あぁあ、緊張するなぁ…」ってときに井手さんに「きょうはピアノがいないけど、白鳥を聞かせてくれん?」と言われたときは焦りました。従前よりピアノがいないことを聞いていた私は、「きょうは(白鳥は)無い」と信じ切っていましたので。「遅いテンポでやりたいです」なんていうお願いをしていたにも関わらず、焦りまくって速めのテンポで、ごまかしながら弾きました。「これはヤバいゾ!」と思われたのではないかと…。
※練習報告のページにもありますが、おーもとさん(噂の6卒)は演奏に専念することができないくらい、何かと準備に追われているようにお見受けしました。ご苦労様でした。

「8月15日から16日」
 次に練習に参加できたのは本番前日。(本番のホールで練習できるって、なんて贅沢なことでしょう!)
 ピアノの酒井君(15卒)にお会いしたのも上記のようなわけで初めて。参加されていた皆さんにはご迷惑とは思いながらステージでの音出しをやめていただいてピアノ合わせをさせていただきました。いままでもいろいろなところで演奏を依頼される曲だったものですから、その経験から「ここはこういうふうになりがちなんでヨロシク」みたいなお願いをしながら進みました。
 酒井君(否、先生と呼ばねば)は、音萌も現役も振り、「象」の中間部ではソロを弾き、そしてピアノ。八面六臂の活躍。
※私の二学年下でありながらすでに重鎮となっているお姉さまたち(旧姓で言うと石丸さん、西原さん)に音の通り具合、響き具合を聞いていただいて、場所をチューバのすぐ前とさせていただくことになりました。最初はSax.の後ろの客席側で弾いていたのですが、やはり反響板の内側でないと音が飛ばないとのこと。
 ちなみに、アマチュア・オーケストラで弾いていますと、「降り番」というものはまずありません。が、このたびは現役さんの第2部はもちろん、第1部も降りさせていただいていました。
※しょーもないことですが、「客席で聴いた音が録音されるとどういうふうになるか」ということがわかったのも収穫でした。

「音萌の音」
 「七夕オケ」という言い方がありますが、「七夕バンド」とか「お祭り団体」という音ではなくなったと思いました。かつての音萌の音は、しばらく振りに集まって、また、人によっては数少ない演奏の場であったりして、吹き散らかすというか雑な音であったように思います。が、今回の音には色気さえ感じました。この20年の間に指揮者が育て上げたものなのか、会員が齢を重ねたからなのかはわかりませんが、すごく大人の音を感じました。
 一例は「シンコペーデット・クロック」です。この曲は正確な時を刻むはずの時計が、たまにシンコペーションとなってしまうという、壊れた、もしくはおちゃらけた時計を表しているものと思っていました。でも、このたびの演奏では、「『大きな古時計』よろしく、年を取って正確な時を刻むことが困難になった時計が、過ぎ去った過去を思い出したり懐かしんだりしている」というような情景が浮かび、そのしっとり感に涙腺が緩んでしまったくらいです。
※木管の充実にも驚きました。長年やっているということで、猛者・強者が堆積(?)しているのでしょうか。

「出番の第3部」
 「白鳥」。リハーサルのときはオケでもお世話になる伊藤さん(52卒)の横ということで緊張したのですが、本番では目の前のSax.やCb.の方が前を空けてくださったため、「視界から伊藤さんがいなくなった」=「緊張が緩和された」となるはず。ところが実際は「目の前に人がいなくなった」=「お客さんが目に入るようになった」&「普段テレビの中にいる今井君(60卒=N響)が本番直前に現れて、そのすぐ前での演奏なんてことになった」ということで、またまた舞い上がってしまいました。またこの曲は「組曲の中の一曲」であるにも関わらずチェロ担当者として紹介されたり、演奏後に拍手をいただいたり、で、図に乗ってピアニストと握手したりして、つまるところ後ろから「曲が終わったみたい」という声が上がったりして、またまた冷や汗をかきました。(チョー反省してます!)で、実は次の曲(「終曲」)は安堵感からかしばらくの間演奏できていません。これはビデオにも映っていることでしょう。
※「白鳥」の出来はリハーサルの方が良かったかも…。ま、録音が残っていない演奏の方が出来がいいと思ったりするもんですけど。とにかく、本番の音程の虚ろさと言ったら…。あ、舞い上がっていなかったらもっといい演奏が出来たというわけでもありません。

 「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」と「ラ・ボエームよりクリスマス・シーン」は、現役2年生のお嬢さん(増田さん)の指揮だったわけですが、このたった一週間の間に彼女はどんな勉強、練習をしたのだろうというくらいの「進化」がありました。バトン・テクニックはまだまだだけれど、曲に対する「思い」というものだけでこれほどプレイヤーを惹きつけ、そしてご本人自身も「進化」するものでしょうか。これは、高校生もしくは人間の素晴らしさを感じさせるもので、最近自分の練習の糧にもなっています。
※2/8拍子の中の「G.P.」を2小節分取ることを知ったのは前日だったか当日だったか…。次を飛び出した瞬間、「えっ?」と固まり、即座にメガネマークを入れました。
 「夏の思い出」は、かつてよりもしっとりしていて、また以前は「♪遥かな尾? … 瀬?」と、とても長いポーズがあったように思うのですが、それほどでもなくなっていました。そしてこれまたじ?んとしてしまって、以前のように「今年もまた…」とか「音萌の夏は…」なんてナレーションが入っていたら大変なことになっていたと思います。
※終演後、ステージの上で井手さんに「感動しました」とお伝えしたのですが、あまり声になっていなかったので伝わったかどうか…。

「結び」
 打ち上げを初め、他にもたくさんのことがあったのですが、言葉が足りずすみません。どなたかもおっしゃっていたそうですが、私も「音萌=帰ってくるところ」という感慨を抱きつつ帰途につきました。このたびは本当にありがとうございました。
 ところで、花岡さん(52卒)が「愛媛ホルンクラブ」という団体に所属されていることを、そのホームページを偶然見つけて知りました。そして、花岡さんの詳細情報のページには、「所属団体」として「愛媛交響楽団」とともに「音萌の会」も書かれてありました。そのお気持ちというか志というか、このたびの演奏会でわかったような気がします。私もプライベートな名刺を作ったりしていますが、次は「音萌の会」も入れさせていただこうかなと思っています。…あ、許可申請が要りますか?

(了)




  

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