音楽の戦争責任について 平成6年卒 大元佳奈 4丈余の櫓櫂 操りて 行手定めぬ 浪まくら 百尋千尋 海の底 遊びなれたる 庭広し 5 幾年ここに きたへたる 鉄より堅き 腕あり。 吹く塩風に 黒みたる はだは赤銅 さながらに。 6 浪にただよう 氷山も 来らば来れ 恐れんや。 海まき上ぐる たつまきも 起らば起れ 驚かじ。 7 いで大船を 乗出して 我は拾わん 海の富。 いで軍艦に 乗組みて 我は護らん 海の国。 これは「われは海の子」の歌詞である。軍国主義を思わせるとのことでGHQの指示で教科書からはこの4番以降が消え、歌碑にも載っていない。「汽車、汽車ポッポポッポ」でおなじみの「汽車ポッポ」も原曲は「兵隊さんの汽車」であり、出征兵士を万歳で送る歌だった。他にも「お山の杉の子」、「里の秋」なども、歌詞の改変などを経て今も歌われている。これらの曲は問題のある歌詞が消え、曲が後世に残ったものである。 戦時にはたくさんの楽曲が国策や、時局に対する忖度で作られた。今回の演奏会で古関裕而作品を演奏するにあたって、彼の作品を多く聴いたが、歌謡曲やスポーツ関連のヒット曲の影には戦時中の楽曲が多く存在し、古関裕而を語るにあたっては避けることはできない。 古関裕而はコロムビアの専属作曲家であった。(戦時下もレコードは生産されていた。ビクター、ポリドール、キングレコード、テイチクレコード、タイヘイレコードなどは戦前からあった会社である)当時、新聞社や放送局、陸軍省などの公募による楽曲がさかんに作られた。レコード会社からの依頼があって、断ることもできず作曲したとも言い切れないが、望むと望まざるとに関わらず、古関裕而の歌は大ヒットし、戦場や銃後でひろく歌われていた。 「露営の歌」はS11年作曲、60万枚の大ヒット曲。毎日新聞の公募によって選ばれた歌詞に曲を付けたもので、勇壮な曲ではなく、戦地における兵士の生と死への思いが哀愁を込めて歌われる。 勝ってくるぞと勇ましく 誓って国をでたからは 手柄立てずに死なりょうか 進軍ラッパきくたびに 瞼に浮かぶ旗の波 詞:藪内喜一郎 「愛国の花」 S13年作曲。大阪中央放送局の国民歌謡として作られた。S17年の同名映画はこの曲のヒットを受けて後に作られたもの。銃後の女性を桜・梅・椿・菊の花になぞらえた、とても美しい楽曲である。 ましろき富士のけだかさを こころのつよい楯として 御国につくす女等は かがやく御代の山ざくら 地に咲き匂う 国の花 詞:福田正夫 「暁に祈る」 S15年作曲。松竹映画「征戦愛馬譜 暁に祈る」の主題歌。力強くドラマティックなメロディが印象的。 ああ あの顔で あの声で 手柄頼むと妻や子が ちぎれる程に振った旗 遠い雲間にまた浮かぶ 詞:野村俊夫 「英国東洋艦隊潰滅」 S16年作曲。この曲はニュース歌謡と呼ばれるものであり、戦果のニュースを国民に知らせるために古関は放送局に常駐し、即座に作曲したものに、歌を付けてラジオで放送していた。この曲はマレー海戦勝利の大本営発表後、3時間で放送までこぎつけたとされている。S17年に歌詞を変え「断じて勝つぞ」としてレコード化。元の詞ではS41年にレコード化されている。 滅びたり 滅びたり 敵東洋艦隊は マレー半島 クワンタン沖に いまぞ 沈みゆきぬ 勲し赫たり 海の荒鷲よ 沈むレパルス 沈むプリンス・オブ・ウェールズ 詞:高橋掬太郎 「断じて勝つぞ」 君の為 国の為 我が命捧げて 微笑みて 働くは 限り無き名誉 剣を執る身も はたまた執らぬも 断じて勝つぞ 断じて勝つぞ 詞:サトウハチロー 「若鷲の歌(予科練のうた)」 S18年作曲。23万枚の売り上げ。 東宝映画「決戦の大空へ」の挿入歌。明るい曲調で始まるが、どこかもの悲しくもある。覚えやすいメロディで、今でも歌える人も多いだろう。 若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でっかい希望の雲が湧く 詞:西条八十 「ラバウル海軍航空隊」 S19年作曲。NHKの放送用に作られた。すでに戦局は悪化していたが、はるか南半球で健闘していた航空隊を題材にすることで、戦意昂揚につなげようとした。曲調は明るく、スポーツショー行進曲にも似ている。 銀翼連ねて 南の前線 ゆるがぬ守りの 海鷲たちが 肉弾くだく 敵の主力 栄えあるわれら ラバウル航空隊 詞:佐伯孝夫 これらの作品は、現在ふつうには演奏されることはめったにない。当時の流行歌であった戦時歌謡も企画もののCDなどでしか聴くことはない。古関作品にはGHQによって廃棄された譜面もあるそうだ。これらの楽曲で戦地に家族を送った人や、実際に戦場へ行った人にとってこれらの楽曲は耳にするのも嫌かもしれない。また、街宣車が大音量で流すのを快く思う者は少ないだろう。街宣車では鶴田浩二が歌うものが人気のようだが、戦時中のラジオやレコードは霧島昇、藤山一郎、伊藤久男、岡本敦郎ら正統派歌手が美しく歌い上げている。言葉は音楽に乗り、より広く深く人々に浸透する。音楽はプロパガンダに都合のいい手段であったことは間違いない。戦時下の音楽はその依頼主を見ても、国民を軍国主義に染めていく恐ろしい力を持っていたと言えるだろう。そうなれば、戦後において演奏されなくなったのも仕方のないことであろうか。 世界に目を向けると、フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は「ライン軍のための軍歌」である。「リパブリック讃歌」はアメリカの愛国歌で、南北戦争の北軍の行軍曲である。フランス軍もアメリカ軍ももちろん現存するので、これらの曲が演奏されるのは当然かもしれない。 日本軍はもう無いが、自衛隊音楽隊では「陸軍分列行進曲」や行進曲「軍艦」、「君が代行進曲」などは演奏会の定番の曲目である(いずれも古関作品ではない)。しかし、これらの曲の歌詞が歌われることは少ないだろう。 「抜刀隊」(陸軍分列行進曲) 我は官軍我敵は 天地容れざる朝敵ぞ 敵の大將たる者は 古今無雙の英雄で 之に從ふ兵は 共に慓悍决死の士 鬼神に恥ぬ勇あるも 天の許さぬ叛逆を 起しゝ者は昔より 榮えし例あらざるぞ 敵の亡ぶる夫迄は 進めや進め諸共に 玉ちる劔拔き連れて 死ぬる覺悟で進むべし 詞:外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎 「軍艦」 守るも攻むるも鋼鐵の 浮べる城ぞたのみなる 浮べるその城日の本の 皇國の四方を守るべし まがねのその艦日の本に 仇なす國を攻めよかし 詞:鳥山啓 私は戦争を知らない世代である。今回「古関裕而全集」を聴いてみて、とくに「愛国の花」の美しさに感動し、なぜこの曲がいま聴かれないのかを考察したものである。偏見がなければ、演奏されないのがもったいない曲ばかりである。「嗚呼神風特別攻撃隊」は荘厳で格調高い名曲であるが、ラジオで流れたのはS19年。S20年に「神風特別攻撃隊の歌」としてレコード化された。しかし空襲で音源や原譜は失われ、ようやく正式にレコードが発売されたのはS44年になってからだった。 今回参考資料とした「歌と戦争」(櫻本富雄著)は、服部良一、古関裕而、古賀政男、山田耕筰についてかなり厳しくその責任について書いている。サトウハチローをはじめとする作詞家も同様だ。筆者はS8年生まれなので、戦時中はすでに少国民と呼ばれる年代であったろうから、戦時歌謡に対する思いは私とまったく異なるだろう。しかし先に挙げた唱歌のように、楽曲だけでも残すことはできないかと考えるのは間違っているのだろうか。 R2年春放送予定のNHKの放送用の朝ドラ「エール」は古関裕而をモデルにしたドラマである。大河ではないので、役名も古山裕一になっているし、ストーリーも史実どおりではないだろう。戦時下の作曲活動についてどのように描かれるのか気になるところだ。R2年は古関裕而イヤーになるだろう。「東京オリンピックマーチ」の栄光と、戦時中の作曲活動の影。どちらも偉大な作曲家古関裕而の功績なのであり、近代日本の軌跡なのである。 参考資料 「歌と戦争-みんなが軍歌をうたっていた-」 櫻本富雄 アテネ書房 CD「古関裕而全集」別冊解説書 日本コロムビア株式会社 |