第3部 <曲目紹介> ▼ニュールンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲 (R・ワーグナー 作曲) 「私の好きなワーグナー」〜解説に代えて〜 井手 浩一 R.ワーグナーは逸話の多い人物である。古今の大作曲家の中でも、エピソードの多さは白眉と言っても良いかもしれない。曰く‥‥略奪愛、不倫の恋、パトロンの妻との逃避行、革命に失敗しての亡命、常軌を逸した浪費癖、その結果として借金だらけの生活…バイエルン国王ルートヴィヒU世は、バイロイト祝祭劇場建設のために国家財政まで傾けた(これはかなりの誇張らしいが)‥‥と良くない方の話題にはこと欠かない。実際、もしワーグナーが今生きていれば、隣人としてはおよそ付き合い難いタイプだったと思われる。更に彼自身がユダヤ嫌いであったことと相俟って、その音楽がヒットラーのドイツ、つまりナチスドイツに利用されたのも歴史的事実である。ヒットラーは『ローエングリン』が大のお気に入りで、自分をドイツの苦難を救うべく現れた騎士になぞらえた。だから、今日に至るまでイスラエルではワーグナーの音楽は殆ど演奏されないし、たとえ『ジークフリート牧歌』(妻コジマへの誕生日プレゼントとして書かれた)のような家庭的な情愛に満ち溢れた佳曲でさえ、ユダヤの聴衆には強烈な嫌悪感を引き起こす。 しかし、私は彼の音楽の核心にあるのは慎ましやかでデリケートな、繊細さの極致とも言っても良い感情だと思っている。 『ローエングリン』の第三幕で、何故エルザは彼の名前を尋ねてしまったか。聞けば全てが水泡に帰すと分かっていたにも関わらず。ローエングリンが「私はある物を犠牲にしてここへ来た」と語った瞬間に彼女は逆上した。つまり、騎士が救いに来たのは「ブラバント」という小国であって彼女自身ではない。だから、これ以上偽りの愛情に縛られることに耐えられなかったのではないだろうか。 『ジークフリート』の中でジークフリートが訴える。俺は今まであのこびと(ミーメ‥‥育ての親)を親だと思っていたが、あいつが本当の親である訳がない。だって、奴は俺には全然似ていないんだから。では‥‥水面に顔を映して考える。俺のお父さんは?彼は男だから、きっとこの顔に良く似ているんだろう。でも、お母さんは?ああ、女の人の顔は俺には想像も付かない‥‥と、森の小鳥に向かってその切なさを語り掛ける。上演が四夜にも及ぶ巨大な『ニーベルングの指輪』の中でも、最も印象的で美しいシーンである。 さて『ニュールンベルクのマイスタージンガー』のこと。ヒロインのエヴァは靴屋の親方ハンス・ザックスのことが好きであったし、実際、愛の告白とも取れる行動に出ている。しかしザックスはその愛には応えなかった。実は彼もエヴァを愛していたにも関わらず。 そして、若い騎士ヴァルターが彼女と結ばれるよう「マイスタージンガー」精神の神髄を伝授する。 第三幕でヴァルターから「美しい歌曲」と「マイスター歌曲」との違いを尋ねられたザックスは次のように答えた。 ‥‥美しい青春の日に、この上なく幸福な初恋によって、胸の内に力強い衝動が満ち溢れる。このような時に美しい歌を歌うことは誰にでも出来る。春が彼らのために歌ってくれるのだから。しかし夏、秋、そして冬が来て、多くの心労や苦痛と共に結婚生活の幸福も訪れ、子供の洗礼、仕事、喧嘩や争いといった物の中から美しい歌を作り出すことが出来るのは、マイスターのみだ。マイスターの規則はあなたを導き、あなたが若い時に、青春や愛の衝動が心の中に植え付けた物を、失わないように守ってくれる。この規則を作ったのは貧しい生活をするマイスター達だ。人生の苦難に襲われている精神なのだ。その荒々しい生活の苦しみの中に、青春の日の愛の想い出がはっきりと変わらずに残り、それが何時も春を思い出させるようなイメージを、彼らは作り出したのだ‥‥ 願わくば、音楽がその美しさのみで純粋に評価され、再び、イデオロギーや特定の政治思想と結び付かないことを。
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