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井手さんに原稿を依頼したら、一晩で書いてくれました。

『展覧会の絵』について

S47年卒 井手 浩一 

 音萌の会の演奏会プログラムを繙くと『展覧会の絵』は過去第2回、第9回、第20回、第27回の計4回演奏しています。但し、第2回はまだ全部の編曲が存在せず、自分たちである程度補充しながらの抜萃でした。そもそもは我々昭和47年卒業組が高校3年生のコンクールで、最後の2曲『ババヤガの小屋』と『キエフの大門』を演奏したことに始まります。それ以来、いつか同じメンバーで『展覧会の絵』を、それも全曲を演奏したいというのは古い会員の夢でした。それがいつしか若い会員にも伝染し、会全体のエバー・グリーンに変化した次第です。
 今回はフォローする立場で練習を見ていますが、出来ないところはまるで一緒で、必死の奏者には失礼ながら笑ってしまいました。テンポの変化に弱い、臨時記号に弱い、ややこしいリズムに弱い。第2回の練習中に『殻の付いたひよこの踊り』をそれでは『お腹の突き出たひよこの踊り』だと、からかわれたことを思い出しました。ついでに書くと1曲終わるごとに楽譜がバサバサと飛び交うのも、練習場の空調が寒いだ、いや暑いだとモメているのも一緒で、何年経っても変わらないもんだなあと思います。
 ただ、やはりメンバーは緩やかに入れ替わっていて、かつては『展覧会の絵』はクラシックアレンジとしてはメジャーで、いわば常識に属していたのですが、今の大学生にとっては違うようです。現在のようにマーラーだろうがR.シュトラウスだろうがラヴェルだろうが自由に編曲されてしまう時代では、既に流行遅れなのかもしれません。
 高校の吹奏楽は3年間で、それに上級生が加わるから、直接同じ時間を過ごした学年は五つです。もし親睦の範囲がそこに限定されてしまうと、そもそもOB会は成り立ちません。筆者と会報・プログラムの編集長、おーもっちゃん(平成六年卒・大元佳奈さん)との付き合いは四半世紀に及びますが、彼女とは99%OBになってからの交流です。お互いの高校時代を知っている者同士が仲良く出来るのはある意味当然で、そこから一歩踏み出さないと、世代を超えた付き合いは出来ないように思います。
 昨日の砥部の練習の帰り、車の中でとある大学生との会話。「大学で何を専攻してるの?」「アラビア語です」「なんであのミミズの這ったような文字を?」「完全な出来心ですね」以下彼は、延々とアラビア語の難しさと易しさ双方を解説してくれたのですが、左から右に流れて行ってしまいました。或いは「18年振りの展覧会だなあ」と話していると「私、その時は3歳でした」とニッコリ笑った後輩が。そういう新鮮な感覚を持った彼や彼女があの曲にどう立ち向かうか、興味津々で見守っています。本物の音楽は流行とは関係ないですからね。果たして冒頭の『プロムナード』が朗々と鳴るか、難曲『サムエル・ゴールデンベルク』や『リモージュ』は征服出来るか『カタコンブ』の死の静寂は表現出来るか『キエフの大門』は壮大に立ち上がるか、刮目して待ちたいと思います。
 『展覧会の絵』は何か記念の時でないと演奏しない暗黙の了解があるので、次は十年後くらいでしょうか。オリンピックよりもワールドカップよりもサイクルが長いので、それまで元気で居なければ。個々の人間の活動は有限です。ただ、もし一度灯した音楽の炎を次の世代が受け継いで行ってくれれば、無限の生命を持つことになります。会を創設して45年が経っても『展覧会の絵』が鳴ることに、心からの感謝を捧げたいと思います。どうか何時までも、楽しく和やかな音萌の会でありますように。







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