INDEX         

冨永さん、白石さん、井手さんの指揮者紹介でもあります

3rd STAGE

指揮:白石信宏、井手浩一

<指揮者紹介>
●白石信宏(S62年卒)
●井手浩一(S47年卒)

 指揮者紹介〜藤永さんの思い出に寄せて〜

                                    S62年卒 白石信宏

練習が始まって2日目。同じテューバパートの和田恒男さん(S44卒)と楽譜についてのLINEをやり取りしていたところ、こんなフレーズが送られてきた。「藤永が聞いてくれているかなとおもうと、がんばらんといかんよね」
今回のプログラムは、この2月に逝去した藤永浩さん(S48卒)へのオマージュに満ちている。彼が生前音萌の会で指揮した作品を並べてみたのだ。藤永さんのことを思いつつ、3人のおっさん、いや指揮者についての紹介を進めることにする。
藤永さんの一つ上にあたるのが、井手浩一さん(S47卒)たちである。当時の吹奏楽部は、それぞれの中学校で厳しく鍛えられた猛者たちが集い、生徒自身の指揮のもと喧々諤々としながら音楽をつくっていく-というスタイルだった。いろいろな事情があったのだろうが、今にして思えばそんなスタイルが、自由闊達で少し生意気な東高生のスタイルに合っていたのかもしれない。もっとも、藤永さんが語ったところでは「練習のときにはよく相撲をとって先輩にいいようにあしらわれた」「カーブはこう投げる。スライダーは…。そんな話ばっかりしよったんよ」とのこと。
昭和55年。中田勝博先生を顧問に迎え、吹奏楽コンクールでは四国支部大会に駒を進めるまでになる。「魔法使いの弟子(デュカス)」「ローマの謝肉祭(ベルリオーズ)」「交響曲第8番(ドヴォルザーク)」素晴らしい演奏を残した。
そんな東高の演奏を聞いて、「オレはここに入る!」と入学したのが冨永幸伸さん(S59卒)。彼の学年は40人をこえたそうで、吹奏楽部は100人超の大所帯となった。「現役がステージにのらん」という理由で、演奏会場を中ホールから大ホールに移した。当時中2だった僕(白石)はこのステージを聴いている。藤永さんが1部のステージを指揮していた。「マンボNo.5」のバリッとした演奏を聴いて、僕は音萌に入ろうと思った。
世は平成。東高を卒業し、何年かして、音萌の練習に参加したとき。メインに「パリのアメリカ人」を取り上げた時のこと。冨永さんが指揮を担当したのだが、難曲だったので練習が思うように進まない。どのように音楽をつくっていくかについて、藤永さんを含めいろいろな先輩たちから様々な声がとぶ。誰もが高校生に戻って自分の考えを主張する。と言えば美しく聞こえるが、指揮者にとってはかなり堪える。練習場にも緊張が走る。今にして思えば指揮者の力量を見込んでの厳しい指摘だったと思うのだが、残念ながらそのことを確かめる術はない。どうだったんですかね、先輩。
さて令和。昭和も平成も知らない若い会員もずいぶん増えた。年齢差は56。孫とおじいちゃんほどの開きがある。ただ、流れやまない青雲の思いを、時こそ違えともにしたことに違いはない。若き調を次につなげることができるよう、それぞれの指揮者と会員たちの演奏にぜひ耳を傾けていただきたい。