○「あなたは前立腺ガンに狙われています。」とレジメに書かせていただきました。いささかセンセーショナルな言葉ですが、決して大げさに言っているわけではありません。私は初めに申しあげましたように、手術体験者の1人に過ぎません。しかも、まだ術後3年しか経過していませんので、いつ再発するかもしれません。
○ここに持って参りました切抜きは、愛媛医学という医学雑誌の最新号であります。この中に、愛大医学部附属病院泌尿器科から、私と同じタイプの前立腺ガンの治療成績がまとめて報告されています。難しい医学用語ですが、「局所限局型または局所進行型前立腺癌に対する前立腺摘出術の治療成績」と題するものです。対象は1,992年4月から2,001年4月までの10年間、同泌尿器科で(前立腺癌臨床病期B、Cの診断で)前立腺全摘出術を施行した51人です。
○私もこの調査対象51人の1人であります。この種の報告はごく普通のもので、いつもならサア〜と読み流しますが、今回は全く別でした。自分が患者の1人として出ている報告書を読むという、このような体験をした医師はそれ程多くないのではないでしょうか。何とも言えない複雑な気持ちで読みました。
51人中1人死亡、その他の50人は生存していますがそのうち13人が再発しています。この数字だけを見ますと、5年間に4人に1人が再発しており、ちょっと不気味な気がいたします。
○前立腺ガンと言えば、本年1月に天皇陛下が東大病院で全摘出術をお受けになり、1ヵ月後、後遺症もなくご退院になられました。最近では、森前首相、プロゴルファーの杉原輝夫氏、読売新聞の渡邉恒雄社長、歌手の三波晴夫氏、外国では湾岸戦争のシュワルッコフ将軍、フランスのミッテラン大統領などが挙げられます。
三波春夫氏は残念ながら発見が遅れ死亡しましたが、森前首相、渡邉社長などは以前にも増して元気に活躍しているようです。
○初めに前立腺とはどんな臓器か、一寸添付の資料で説明させていただきます。(資料1-省略)
前立腺は男性だけにある臓器で、膀胱のすぐ下にあり、大きさはクルミ大です。(黄色部分)
精液の一部である前立腺液を分泌し、その真ん中を尿道がつき抜くように通っております。(赤い線で示す)
前立腺は大きく分けて、外側の外腺部と内側の内腺部からなっております。
ガンの大部分(6,70%)は、外腺部から発生します。尿道から離れているため、尿道の圧迫症状などが出るのは、かなり進んだ段階です。
一方、肥大症は内腺部が異常に大きくなった状態で、直接尿道を圧迫するため、症状が出易いわけです。
ガンと肥大症は発生する場所が違う、ということを覚えておいていただきたいと思います。
○前立腺ガンも前立腺肥大症も、50歳を過ぎますと発生し易くなりますが、ガンは悪性、肥大は良性であります。
近頃トイレが近くなり、夜もよく小便に起きるようになった、とか、どうも尿の出が悪くなったような気がする、というような場合は、先ず前立腺肥大症を考え、泌尿器科を受診しなければなりません。
年齢のせいだろうと、軽く考えない方がいいと思います。時に、そのような訴えで受診し、ガンが発見されることもありますので、早期受診が大切です。
一方、前立腺ガンの初期は殆ど症状がありません。そのため、発見が遅れることがしばしばです。
50歳を過ぎると前立腺ガンになるかもしれない、ではなくて、既になっているかも知れない、というくらいの危機意識を持って、定期的に検査を受け、早期発見に努めて欲しいものです。
○どこのガンでも早期発見、早期治療が大切ですが、その診断となると中々厄介です。
ところが有難いことに、こと前立腺ガンに関して言えば、簡単な血液検査(腫瘍マーカー検査)によって容易に早期ガン発見のチャンスがあります。これをPSA検査と言います。
この検査を50歳を過ぎると毎年か、少なくとも2年に1度は受けるようにお勧めしたい、というのが私のお話しの趣旨であります。
○このPSAですが、基準値の4ng/ml(10億分の1gr)未満であれば、通常は経過観察、4〜10はグレーゾーン、11以上は前立腺ガンが疑われ、夫々に応じて検査が進められます。
○前立腺ガンの診断については、専門家ではありませんので省略させていただきますが、一般的には、先ず肛門に指を差し込み調べる直腸診、その上に超音波検査が合わせて行われます。
○以上の検査でガンが疑われた場合は、確定診断のため、直腸から前立腺の外腺部の疑わしい場所を目がけて針を刺し、少量の組織を採って病理学的に検査いたします。これをバイオプシーと言います。通常は左右両側から6ヵ所を選びます。
○私の場合は、このバイオプシーを1年ごとに2回しましたがガン細胞は見つかりませんでした。3回目に疑わし細胞が少し取れましたが、なおはっきりせず、仕方なく、検査法を変えて、前立腺の内部をくりぬき、内腺部の組織を大きく取って調べるという手間をかけました。
○その結果、採取した組織の一部にガン細胞が見つかり、最終的に前立腺全摘出術を受けることになったのですが、4ヵ月の間に大きな手術を2回受けたことになります。私のガンは内腺部から出たもので、バイオプシーを繰り返しても見つからなかった場所にあったわけです。
○一般に自治体や職場で定期検診が行われていますが、今までは検査項目にPSAを含めているところはそれ程多くありませんでした。そのため、毎年きちんと検診を受けていた人が、ある日突然、前立腺ガン発見、すでに手遅れ、といった悲劇が今もあちこちで見られています。
私の場合は、レジメに書いていますように、毎年受けていた定期検診にPSAが組み込まれていたため、早期発見、早期手術が可能となったわけであります。(資料2−省略)
とは言え、PSAには随分悩まされました。診断に極めて有用と言われていますが、私の場合はむしろPSAに振り回されました。
術後は一転して、ガンの転移や再発を知る手段として、こんなに簡便で有用な検査はない、と信じるようになっております。
私は皆様に、声を大にしてPSA検査をお勧めいたします。
また、皆様方の会社の検診項目に、PSA検査をぜひ追加していただくようお勧めいたします。
○ところで、前立腺ガンの治療法ですが、これまた専門家でありませんので、詳しいことはわかりません。
一般に、年齢、ガンの悪性度、ガンの部位、周囲組織への浸潤の有無、リンパ節や骨転移の有無などから、前立腺全摘出術、放射線療法、ホルモン療法など、単独または組み合わせて治療されます。
私の場合は、年齢が65歳、ガン組織の悪性度は中等度、転移はない、などの諸条件から術前のホルモン療法+全摘出術という治療法が選ばれました。
当時、他の大学附属病院で新しい放射線療法(放射性物質体内埋め込み)が好成績を挙げているという報告もありましたが、私は、これでよかった、と今では関係者の皆様に心から感謝しております。
○少し硬い話が続きましたので、手術にまつわる今では笑い話になるようなことをお話しさせていただきます。
先ほど、読売新聞の渡邊恒雄社長も全摘出術を受けたと申しあげましたが、彼は文芸春秋の平成10年10月号に、「社長、ガンと闘う」(ー前立腺ガンを告知されたのは、昨年2月。万一のことも考えたが、全摘手術も無事終わり、あと10年は大丈夫だー)とう詳しい手術体験記を公表しました。
著名な人の前立腺ガン手術体験記は、当時大変評判になりました。多分、皆様の中にもお読みになられた方もいらっしゃるのではないかと思います。
私は、当時、未だ前立腺ガンの診断が確定する前で、悩んでいた頃でしたので、繰り返し繰り返し読みました。今見てみますと、赤線がやたらと引かれています。
○ その中に、バイオプシー検査のことを次のように書いています。
「−数ヵ所に針を刺す。といっても刺すたびにバン、バンとピストルを撃つような音が聞こえる。下半身を麻酔しているので痛くはないが、手術室で数人の医師と看護婦が入り、ペニスをガムテープ状のもので腹に貼り付けられ、両膝を曲げ、局部が丸出しになるのだから、聊か恥ずかしい。−」
私も全く同じ体験をしました。確かに、ピストルを撃たれたときはこんな感覚かな、と思われるようなズシン、ズシンという鈍い衝撃でした。しかも私は3回も受けたわけです。最初は6ヵ所、2回目は11ヵ所、3回目は9ヵ所、計26発打たれた(?)ことになります。(注:全摘出手術時にも同じ検査をしたとお聞きしていますが、全身麻酔を受けていましたので、記憶には残っていません。多分6ヵ所、計32発となります。繰り返し行われたバイオプシーでしたが、バイオプシーではガン細胞は見つかりませんでした。)
恥ずかしさは、聊かどころではありませんでした。
○ペニス丸出しと言えば、尿道に挿入していた管(カテーテル)を、術後2週間目にレントゲン透視をしながら抜くときのことが思い出されます。この検査は、縫い合わせた尿道がちゃんと繋がっているかどうかを確かめるもので、極めて重要です。もしも、繋がっていなければ、再手術となります。
大学病院ですから、その模様を臨床実習に来ている数人の学生に見せるわけです。その間、ベニスは丸出しです。終わるまでの時間の長かったことといったらありませんでした。
○もう1ヵ所、ペニスにまつわる話が出ています。
「−剃毛といい、ペニス周辺の毛を若い看護婦さんに剃られる。経験者によると、このときペニスが直立してしまうと聞いていたが、さりげない看護婦さんの手際の良さか、72歳という年齢のためか、私は何の反応も起きなかった。−」
私は65歳、二人の若い看護婦さんが剃ってくれました。さあ、どうだったでしょうか。後は皆様のご想像におまかせいたします。
○前立腺ガンのお話しの最後として、前立腺全摘出術にまつわる後遺症などについて触れさせていただきます。
前立腺全摘出術は難しい手術の一つで、大量の出血を伴います。そのため、通常は、出血に備え、事前に自分の血液を400〜800CC貯めておきます。
また、術後に尿漏れや、逆に尿道狭窄などが起こることがよくあるようです。
○私も尿漏れ、尿失禁には随分悩まされました。尿漏れはちょっと息んだときに漏れる、といったものではなく、水道の栓を全開にしたようなもので、垂れ流しもいいところです。退院2週間目に、たまたま兵庫県に住む身内の通夜があり、無理をして出席しました。男性用のオムツを当て、途中一滴の水分もとらず、新大阪に着きましたが、その頃はもうオムツはずっしりと重く、今にも尿が漏れ出しそうになっていました。ご承知のように新幹線の駅のトイレは混雑していますので避け、大阪駅にあるデパートのトイレを探すつもりでした。ところが滅多に来たことのないデパート、まるで迷路の中を歩いているようで、トイレの場所が中々見つからず、泣き出したいくらいでした。帰りも瀬戸大橋線のホームで右往左往しました。他人様が見ますと、その歩く姿は滑稽だったと思いますが、当の本人は実に悲愴というか、惨めでした。
尿漏れは、その頃を境に急速に消失しましたが、ずっと続く人もいる、と聞いていましたので、オムツが取れるまでは不安な毎日でした。
渡邊さんは、カテーテルを抜いた直後から、尿漏れは全くなかったそうで、「外出してラーメン、寿司、イタリア料理など、好物を食い歩くほどになった」、と書いています。人によって大きく異なるようですが、術後に多少なりとも尿漏れを体験すると言われていますので、渡邊さんはよほど幸運な方のお一人でしょう。
○尿漏れついでにもう一つ。第1回目の経尿道的前立腺切除術(通常は前立腺肥大症の時に行われる手術)を受けたときは、尿道括約筋は正常に機能していますので、尿漏れはなく、息むときだけ尿が漏れました。最初はかなり濃厚な凝血尿でした。パンツが汚れますので、女性用の尿漏れパッドを使用しました。女性用のパッドを見るのも初めて、着けるのももちろん初めてでした。まさか、こんなもののお世話になるとはと、ちょっと情けない気持ちになったことを思い出します。しかし、実に便利でした。
また、小さな発見もありました。発見といっても、私の無知そのものですが、パッドは局部に当てて皮膚に貼りつけるものと想像していましたが、驚くなかれ、パンツに貼りつけるのです。術後、日ごとに血尿は薄くなり、もう大丈夫と思って安心していますと、排便時にまた血尿が出て、その都度パッドに血がつき、気が滅入るようでした。便秘をしないように、排便時に力まないように努めました。パッドが汚れなくなるまで、2ヵ月近くかかりました。
○もう一つの問題は、全摘出時に、左右2本ある勃起神経を切除するか、温存するか、どちらかを選択しなければならないことです。2本とも取ってしまいますと、確実にインポテンツになります。
勃起神経の温存手術は、技術的に難しく、時間を要し、大量の出血を伴います。また、ガンの取り残しが起こる危険性が多分にあります。以前は全摘出時には、勃起神経の切除はやむを得ないと考えられていました。
渡邊さんは自己血輸血800CC以下、勃起神経は「切断してもかまいません」とお願いしたそうです。
私の場合は、手術前の詳しい説明のとき、勃起神経については、「おまかせいたします」と言いました。
手術後、「1本だけ切除した、自己血輸血は400CCだった」、と説明がありました。
○私は6年前にマナベ小児科HPを設置しました。その中に「-前立腺がん手術体験記-泌尿器科専門医との往復メール-」を掲載しています。現在、私のHPの中で、最もアクセスの多いページは、この前立腺ガン体験記です。特に、天皇陛下の手術前後からアクセス数は急増しています。
以前から、これを読んで多くの方から質問が寄せられていますが、最も深刻な質問は、ガンもさることながら、この勃起神経切除に関する質問です。このことについては、じかに質問するのが恥ずかしいのか、多くの場合、「父親が前立腺ガンの診断を受けた」、とか何とか言って、本人しかわからないような内容の質問をしてきます。
私もさり気なく、しかし、本当のことを答えることにしています。
ガンも恐ろしい、しかし、男性の機能が失われるのも怖い、人間はやはり死ぬまで煩悩具足の輩そのものです。私ももちろんその1人です。
○ また、こんなこともありました。昨年2月、上京したとき久し振りに学友に会いましたが、彼曰く、「君のHPが随分役立ったよ、実は自分も手術したが、術前に、心配してくれた友人の1人が、こんな資料があった、と持って来てくれたのが、君の前立腺ガン手術体験記のコピーだった。そのときは、持ってきてくれた友人も、自分も不思議な因縁に本当に驚いた。」とのことでした。つい先だって、彼から新刊本が送られてきました。お礼の電話をしましたところ、彼曰く、ある人の名前をあげて、「最近、○○君が手術をするというので、君の体験記をプリントして渡しておいた。」とのことでした。
やはり、前立腺ガンは確実に増えています。意外なところで私のHPが役立っているようです。
(平成15年5月15日記)
(本稿は、平成15年5月13日にコープ会館で開かれた新居浜・西条経済研究会5月例会で行った講演要旨の一部です。当日は、最近、新居浜地域で流行し、問題になった成人麻しんと、平成15年5月1日施行の健康増進法第25条:受動喫煙の防止、についても合わせて紹介させていただきました。事務局の愛媛新聞新居浜支社の佐藤寿志支社長はじめ関係各位に感謝いたします。)