新居浜小児科医会400回記念誌
(平成13年12月25日発行)から
マナベ小児科
真鍋豊彦
PSA 11! これが何を意味するのか、迂闊にも私は何も知らなかった。まるで素人であった。
平成9年7月、愛媛県医師国民健康保険組合の定期健診があり、いつものように検査を受けた。
一通り結果に目を通した。あれあれ、PSAが11、基準値は4以下、これは異常高値ではないか、と初めて気づいた。
それが、2年後の経尿道的前立腺切除術、前立腺全摘除術につながるとは、神のみぞ知る、であった。
内心狼狽しながら、PSA(prostata specific
antigen)について大急ぎで調べた。何と、これが前立腺特異抗原であり、感度、特異度のきわめて高い腫瘍マーカーであることを知るのに、それほど時間はかからなかった。4から10まではグレーゾーン、それ以上は、限りなく癌が疑われる値という。11はグレーゾーンをわずかではあるが超えている。
この検査を初めて受けたのはいつだったか、昨年の値はどうだったか、検査結果を綴じた資料袋を調べた。
あった、あった。平成6年は1、7年も1、8年が2.5、そして9年が11と急に上昇していた。8年(前年)の2.5のときは見逃していたようだ。その間、前立腺炎や前立腺肥大症様の自覚症状は全くなかった。
これはただ事ではない、と考え、医師会検査センターに再検査を依頼した。ついでに他の前立腺腫瘍マーカーの検査も実施した。
結果は、PSAは11であったが、他の腫瘍マーカーは基準値以下であった。
どうしようかと迷った。2、3の先生に相談したが、皆さんから、「癌であれば、他のマーカーも同時に上昇する」、と言われ、何となくほっとしたことを思い出す。
色々と関連の文献や報告を読み漁った。迷いは募る一方であった。
ちょうどその頃、不整脈が頻発し始めた。そのことも含め、J総合病院内科のK先生に相談すると、同病院の泌尿器科のU先生と循環器内科のM先生を紹介してくれた。
PSA異常に気づいてから1ヵ月後に、両先生の診察を受けた。
不整脈は上室性期外収縮であり、内服薬をもらったが、しばらくの間は発作の起こるたびに苦しみ、悩んだ。
9年8月末に前立腺のバイオプシーを受けた。左右3ヵ所ずつ、6ヵ所を調べたが癌細胞は検出されなかった。
1年後の10年12月、再びバイオプシーを受けた。今回は11ヵ所を調べたがやはり何も出なかった。CT、MRI検査も異常なかった。
その間、PSA検査をJ病院、医師会検査センター(シオノギバイオメディカル外注)、東予中検(医師会検査センター閉鎖のため)で同時期に、あるいは別の時期にほぼ1ヵ月ごとに繰り返し実施した。
最も困ったのは、キットによって基準値が異なることであった。外国の文献には、基準値4以下の記載があり、これが世界的な基準であると思っていたら、さにあらず、施設により、キットにより、基準値は様々であった。
医師会検査センター(シオノギバイオメディカル)の基準値は4以下、J病院では検査のたびに基準値が、11.7以下、8.9以下、5以下、4以下と4回も変わった。また、東予中検でも、当初は1.8以下、その後4以下と変わった。
経過を追う場合は、同じキットで、同じ基準値でみていく必要があるが、これではどの値をとればいいかわからない。頭は混乱するばかりであった。
しかしながら、いずれの場合も、基準値を上回っていたので、異常値であることは間違いなかった。
2年後の11年11月に3回目のバイオプシーを受けた。今回は9ヵ所からのバイオプシーであったが、その1ヵ所から、癌細胞が疑われるという病理診断所見が得られた。しかしながら、癌とは断定できなかった。
やむを得ず、E大学付属病院で、経尿道的前立腺切除術により、前立腺内腺部を調べることになった。(前立腺癌の大部分は外腺部から発生し、バイオプシーで発見されることが多いが、内腺部の癌は発生頻度も少なく、バイオプシーで発見できない)
11年12月、E大学付属病院泌尿器科で経尿道的前立腺切除術を受け、一部の組織から腺癌が発見された。
大部分は分化型(moderately differentiated
adenocarcinoma)であるが、一部に未分化型(poorly
differentiated adenocarcinoma)が認められる、とのことであった。年齢、悪性度などから、前立腺全摘除術の適応ありと言われ、手術を受けることになった。
手術までの半年間、ネオアジュバントホルモン療法を受けたが、ホルモン療法開始とともに急速にPSAは低下し始め、2ヵ月後には測定限界値0.2以下になった。PSAが4以下、否0.2以下に低下するとは、まるで夢のようであった。これで手術が免れるものであればと、どれほど願ったことか。しょせん空しい願いであった。
12年4月、前立腺全摘除術を受けた。「癌は完全にとれた。周囲への浸潤やリンパ節転移もなかった。」と言われた。
文献などで、PSAは診断だけでなく、術後の経過を追うのにきわめて有用であることを知っていた。ある文献には、完全に癌が摘出され、転移もない場合は、3週間以内に測定限界値0.01以下に低下すると書いてあった。
術後17日目のPSAは0.01以下であった。まさに、3週間以内に、0.01以下に低下した。それを確認できたときの安堵感は終生忘れることはできない。術後、「癌は完全にとれた」と言われたが、それを数値で確認できたことが何よりも嬉しかった。
たかがPSA、されどPSAとつくづく思った。その後もPSAは0.01以下で、何の動きもみられない。
この3年間はPSA11に始まり、0.01に至る、短くて長い長い道のりであった。四六時中、頭の中は、PSA、PSAであった。
やっと最近になって、これらから完全に解放された。生かされている、有難い、と思うこのごろである。
(2回の入院に際し、毎日代診をしていただいた大串春夫先生、年末の日曜当直、5月の連休当直を引き受けていただいた松浦章雄先生、塩田康夫先生に心から御礼申しあげます。)
(注)マナベ小児科ホームページ(http://user.shikoku.ne.jp/manabeto/)に「-前立腺がん手術体験記-泌尿器科専門医との往復メール-」を掲載しています。 (平成13年4月30日記)