高島嘉右衛門(かえもん)と三瀬(みせ)周三(しゅうぞう)

 仕事の必要に迫られての読書はたいてい苦痛なものだが、時折思わぬ発見があり、しかもその中に愛媛ゆかりの人物が出てきたりすると、知り合いを見つけたようで嬉しくなる。そうした例の一つが、『高島嘉右衛門 横浜政商の実業史』という本である。
 嘉右衛門は、幕末から明治維新を経て近代へと向かう激動期に、自らの才覚で道を開き、多岐にわたる事業に関与していった面白い人物である。材木商の家に生まれた彼は、開港したばかりの横浜なら、居留地に洋館を建築する需要があるだろうと店を開き、イギリス公使パークスと面識ができて、維新後はその推薦で灯台など洋風建築の普請を請負った。「高島屋」という旅館を始めてからは、大隈重信、伊藤博文らと交流し、さまざまな新事業の情報を得て政商となり、京浜間の鉄道用地埋め立て工事をはじめ、日本初の瓦斯(ガス)会社設立、横浜築港工事のほか、鉄道・電気・銀行など日本が必要とするあらゆる事業に関わっていった。
 彼は晩年、「易占」「易断」といった類(たぐい)の本を何冊も刊行したことから、〝高島易断の祖〟といわれるが、これは誤りでなんの関係もない。しかし、彼が政財界の要人たちと親しくなったのはこの易断のためで、新しい国づくりに頭を悩ませていた人たちにとって、易断はこの上ない助言となった。
 嘉右衛門が易に出合ったのは、金貨密売という国禁を犯した罪で投獄されたときだった。獄中で難解な「易経」を終日読みふけった彼は、その内容を完璧に把握し、出獄後役立てた。
 この入牢期(じゅろうき)に出会ったのが、大洲出身の三瀬(みせ)周三(しゅうぞう)(のち諸淵(もろぶち))だった。幕府が外交顧問だったシーボルトを解任したのに伴い、通訳をした周三も外交の内幕を知る人物としてあおりを食い、投獄された。人足(にんそく)寄場(よせば)で重労働を課せられ、衰弱していた周三の労役が軽いものになるよう、あるいは医学の知識を病囚看護に役立てるよう牢役人に働きかけ、絶望の淵にあった周三を救ったのが嘉右衛門である。
 三瀬諸淵は、シーボルトの孫娘・高子と結婚し、日本の医学教育に大きな功績を残した人物として知られるが、投獄されていたときのことを知ったのは初めてで、興味深かった。(2013.6.7掲載)

1.ライター稼業40年 2.地方のライター 3.ジ・アースとアトラス 4.アトラスの思い出 5.単行本第1号
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11.義士祭とベアトの写真 12.泣かせてしまった本 13.後に続くことば 14.原野に挑んだ人 15.視覚化の醍醐味
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31.おじいさんの自慢 32.編集者の言い分 33.書いてくれませんか 34.隈研吾さんと南京錠 35.幻の出版物
36.高島嘉右衛門と三瀬周三 37 声が聞こえる写真 38.翻訳 39.骨のある出版社 40.男っぽい文章
41.人生のダイジェスト 42.どう書いたら…… 43.消える仕事 44.近欲の風潮 45.運転免許の話
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