第3部指揮者紹介(1)
矢野慶三先生
矢野慶三先生というひと
「慶兄ィをとらんといてぇー!!」という言葉を背中に浴びつつ矢野慶三先生をお迎えしたのはあの年の春・・・背が高くスラリとしていて、折り目正しいまじめ〜な人という印象でございました。
音楽準備室はコーヒーサロンと化し、私たちはウエイトレス見習いとして、マスター「矢野ピン」の手ほどきをうけたのでございました。
二十ン年が過ぎ、先生のロマンスグレーは過ぎ去った年月を感じさせましたが、爽やかな笑顔はそのままに私たちの前に。目にしみる白いTシャツ。さすがに短パンはいて、箸を振り上げて・・・という姿をみることはできませんでしたが、「はあもにいが・・・ばらんすが・・・」のお言葉。限られた時間なのに、一から音を積み上げていくその姿勢は変わってなくて、思わず暑〜〜い第2体育館(今でいう格技場)の青い壁を思い出してしまったのでした。
うーむ、昔も今も言われることはいっしょ。進歩のない私たち・・・なんて思ったのは私だけでしょう、たぶん。高校生に向かって雄叫んでいた言葉よりずいぶん柔らかな口調で諭されたのは、私たちが‘お・と・な’になったってことなんですよね。
きょうの演奏、先生のお人柄がにじみでた、素敵な演奏が期待できそうです。皆様、楽しみにしていてくださいね。
森田功先生
森田 功(もりた-いさお)
学 名:Fagotta isao
原産地:富山県 東砺波郡 井波町
(豆知識:1942年5月31日生まれのA型。高校2年の時にこの道を志す。)
棲息地:愛媛県 松山市
(豆知識:平日は東高音楽準備室に出没。)
特
徴:小柄だが姿勢は良く、自転車を漕ぐ時も原付に乗る時も背筋は伸びたままである。
釣りが好き。
イベント(コンクール等)直前になると急に髪が短くなる。
腕時計は持たない主義である。その為「オイ、今何時ぞ?」と部員によく確認する。
フランス音楽が好物らしい。
注意点:人の話を忘れやすい。しかし「ワシは知らん!」と言う。
変拍子はあまり好きではない。
焼酎を飲ませ過ぎると危険。
以上が「森田功」についての概要です。(出典:「功百科」)尚、この「功百科」にはまだ記載されていませんでしたが、将来の夢は「自分でバイオリンを作る事」です。
これは「功百科・改訂版」に記載予定です。
中田勝博先生
「おはようございまーす」。練習はいつも先生のこの言葉で始まった。
今でこそ「ナカタ」というと「ヒデ」か「コージ」かであるが、私が高校生の頃は「指揮者ナカタ」が全てだった。中学生の時には東温高校吹奏楽部定期演奏会も聞きに行って、なんとそのレコードを持っている。先生の東温高校で指揮された、定期演奏会のR.ワーグナー「リエンチ序曲」、コンクール自由曲のA.リード「パンチネルロ序曲」。あこがれだった。
その先生がなんと東高ブラスの指導者になった。夢のようだった。コンクールの練習。F.リスト「レ・プレリュード」の音出しで始まった。休憩時間には「ウッシッシーコーヒー買ってきてくれ」。何のことかわからなかった。UCCコーヒーのことだった。
自由曲が突然変更になった。H.ベルリオーズ「ローマの謝肉祭序曲」。吹けない。ダメだ。なんでこんな難しい曲やるのー。楽譜には「東京藝術大學★圖書館之圖書★」のスタンプが。さらにプレッシャーが。
県大会、ホルンは落ちたが四国大会に残った。歓喜。初めての四国大会。今度はなんと先生が一小節早く振った。フェイントだ。かろうじて残った。金賞。ふたたび歓喜。「全国大会行きたかったのー」。冗談ではなく口に出せた青春の日々。
今日また、先生の指揮で「ローマンカーニバル」やれることを感謝してます。みたび歓喜。
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