東予エクロジャイト展示場(愛媛県土居町〜西条市)
2001年9月1日から7日に亘って、「第6回国際エクロジャイト会議」が、新居浜市の愛媛県総合科学博物館を会場におこなわれた。大学の存在しない地方都市に世界中の学者が集まって学会を開催するなどは極めて異例のことで、前夜の各界来賓を招いてのホテルレセプションや、実際に赤石山系に登山しての巡検など、良く練られた多彩なプログラムに学会参加者のみならず、地域の多くの人々の衆目を集めまた驚かせたのであった。学会の様子や巡検の概要(1日分だけではあるが・・)は小生の「愛媛労災病院山の会」のサイトで紹介しておいた。
あれから10年!・・すでに国際会議が行われたことさえ忘却の彼方!という人も多いが、エクロジャイトに興味のある若い人や四国から遠く離れた方々から折に触れて、エクロジャイトについて教えてほしいというメールを頂くと、とても嬉しく小生も頑張らなければ・・という思いがこころを奮い立たせる。そこで、今回は、西条市以東の愛媛県東予地方に展示されているエクロジャイト標本を簡単に紹介し、見学や巡検の参考の足しにしていただければ、と思う。エクロジャイトの概要と特徴については、前回の「坂出エクロジャイト展示場」の項に記載しておいたので別にご上覧賜りたい。唯、小生の不勉強のため、ここに挙げた場所以外にも展示場があるかもしれない。また、忌憚なく御教示いただければ幸いである。(展示場の所在地は郡名を旧名で表示しているので御諒恕の程を・・前にも書いたが、古代から受け継がれてきた貴重な郡名を、おバカな市長の独断で全く意味のない名前にした暴挙には到底、承伏できないからである。小生も必要最低限しか新しい名称は使っていない。とは言え、新居浜市だって元々は新居郡新居浜村や金子村などであったのだから、四国中央市のみを悪者にするのは偏見に満ちた独り善がりの議論に過ぎないと言う批判もあるのだが・・小生も変に頑固なもので・・)
【土居町文化会館(ユーホール)】 愛媛県宇摩郡土居町入野939番地
土居町の旧役場近くにある市民ホール。国道11号線の北側に松風病院(旧山内病院)と並んで、その威容を誇っている。エクロジャイトは2階のロビー片隅にひっそりと展示されている。“上 中央”は、苦礬柘榴石と単斜輝石の混在する関川上流の“五良津体”の代表的標本。“上右”は鉄礬柘榴石に石英とオンファス輝石、角閃石が混在する“ホルンブレンドエクロジャイト”に近い標本で、おそらく権現越付近から産出したものだろう。いずれも関川の転石と思われる。傍らに小さな説明プレートがあって、「石榴石(ザクロイシ)と輝石(キセキ)から成るエクロジャイト(榴輝岩リュウキガン)は、地下約30〜100kmのマントルで生成された石で、それが何らかの作用により隆起し関川の源流東赤石山の東側に露頭しています。地球の成り立ちを研究するため、平成13年には新居浜市で国際エクロジャイト会議が開催され、東赤石山にも各国の学者が登りました。世界でも20箇所ほどしか見られないこの石は関川に入れば見つけられます。また、関川は日本の約1割の鉱物があると言われ、日本各地から学者、研究者、愛好家が探石に訪れています。」と簡潔に要領よく記載されている。標本も小さく目立たない場所での展示ではあるが、エクロジャイトにかける土居町の意気込みを垣間見ることができる。
その証拠に、2001年の国際会議に先だって、主催者である高須晃先生(島根大学)、榎並正樹先生(名古屋大学)、平島崇男先生(京都大学)を招いて、此処と関川小学校でエクロジャイトの市民講演会が開催された。これだけ専門的な小規模な会議で、市民公開講座が開かれたのは極めて異例なことでもあった。小生も文化会館での講演会に出席させてもらった。“下左”は当時の案内状のコピー。“下 中央は”講演会の様子。地域のお年寄りが多く参加されていたのはちょっと意外に思ったし、それだけエクロジャイトに対する町民の関心の高さにも驚いたものである。講演会後の質疑応答も実に活発で、途中で惜しまれながら時間切れの散会になったことを良く憶えている。“下右”は、講演会場後ろに展示されていた、峨蔵山系のある場所で島根大学の櫻井先生が採集されたという20cm近くある巨大な藍晶石標本。美しいだけあって参加者の羨望の的で、エクロジャイト以上の人気を誇っていた。
【暁雨館】 愛媛県宇摩郡土居町入野178番地1
土居町文化会館と国道11号線を挟んで南側に“暁雨館”はある。小林一茶の「寛政七年紀行」に登場する山中時風の屋敷を再現したものである。中はいわゆる郷土館で、土居町の歴史や地学などを紹介する展示室と多目的スペースが用意されている。入館料は無料。入って左側に、主として東赤石山系の岩石を中心とした展示スペースがあり、エクロジャイトも何点か置かれている。種類は文化会館とほとんど同じで、苦礬柘榴石+単斜輝石タイプとホルンブレンドエクロジャイトである。おそらくこれも関川の転石であろう。その他、角閃岩や紅簾片岩、曹長片岩など関川で採集される三波川帯の岩石を手に取って観察できるように、大きな写真パネルとともに整然と並べられている(上右)。綺麗なパネルには「日本の岩石・鉱物の宝庫 赤石山系」とあり、続けて「・・そこには他の地域では見られない岩石や鉱物が多く、「日本の岩石・鉱物の宝庫」と呼ばれています。関川の河原には緑色や青色、赤色、褐色、白色など様々な色の石ころが転がっているのは、そこから流れてきたものが堆積したもので、これまでに50種ほどの鉱物が見つかっています。これらの鉱物が組み合わさってできる岩石は多様で、各種の岩石図鑑や岩石学の教科書に「宇摩郡土居町産」として紹介されています。」と誇らしく記載されている。下のような簡単な岩石のリーフレットも用意されているので、近くの関川の河原で採集する際には参考になるだろう。なお、土居町には愛石家が多く、暁雨館の玄関にも巨大な“紅島石”が飾られている。小生には風化した緑色片岩の塊にしかみえないが、その道では珍重される貴重な鑑賞石で、これを目的に山に入る愛好家も多いという。“五良津”の森は昔から“入ってはいけない”という意味の禁足の森だった訳だが、今は珍しい石や五葉松を求める山天狗達があちこちに闊歩する町民の森林公園として親しまれているのを喜ぶべきか、はたまた悲しむべきか・・・
【新居浜市立郷土美術館】 愛媛県新居浜市一宮町1−5−1
新居浜市市役所横の“旧”市庁舎の建物を利用した新居浜市の郷土美術館。その3階の一部が鉱物・岩石展示室になっている。空調の設備もなくブラインドも壊れて直射日光が入り放題だったが、数年前から、市役所職員で“愛媛石の会”会員のK氏のご尽力により、見違えるような展示施設に生まれ変わった。特に別子銅山関係の鉱石類とエクロジャイトには力を入れており、新しい説明パネルとともに包括的に理解できるように工夫されている。右上はエクロジャイトを中心とした岩石標本。お馴染みの苦礬柘榴石+単斜輝石タイプをはじめ、石英エクロジャイト、グラニュライト、美しいオンファス輝石と晶出した鉄礬柘榴石が美しい別子瀬場帯のエクロジャイトまで一通りの標本が並べられているので、これから採集しようと言う人にとってはこの上なく参考となるだろう。
小生がもっとも感動したのは、褐色の橄欖岩の間にやや分解した単斜輝石と苦礬柘榴石が層状に分布する特徴的なエクロジャイト標本である(上 中央)。これは権現越付近を中心に限局的に見られる特異な形態で、エクロジャイトが橄欖岩や蛇紋岩に含まれる水分の浮力によって地表に浮かび上がってきたという説を裏付ける証拠として、国際会議の時にも特別に会場に展示されていた。下は、国際会議の巡検ガイドブックより転載した実際の現場の写真。黄色っぽい橄欖岩に挟まれるようにエクロジャイトが奇妙な紡錘型をして存在しているのがおわかりだろうか(カメラキャップの左側)? 如何にも引きちぎられたような形状は、エクロジャイトという岩石の特異性と異常性を如実に物語っているようだ。郷土美術館の標本は軽く研磨されているので、岩塊のままよりは内部の様子がよくわかり、苦礬柘榴石の美しさを特に際だたせている素晴らしい標本である。小生も、帰省するごとに此処に立ち寄り、美しい鉱物やエクロジャイトを見ながら、溶けた橄欖岩の中をマントルから引きちぎられたエクロジャイトが急速に浮上するという凄まじい地球の営みを想像することをいつも楽しみにしている。エクロジャイトの概要をK氏がわかりやすく解説したリーフレットを自由に持ち帰れるようになっているのも嬉しく、学生さんをはじめ、興味のある多くの方に来ていただくことを願ってやまない。
(“ IEC 2001 in Niihama Excursion Guidebook 1 ” より転載させていただきました。)
【愛媛県総合科学博物館】 愛媛県新居浜市大生院2133−2
平成24年3月に、リニューアルをしたというのでさっそく行ってみた。確かにティラノザウルスとトリケラトプスのハイテクロボは以前にも増して迫力があり、動きも咆哮も、子供は怖がるのではないかと思われるほどのリアルさで、これは納得の凄さである。その傍らにひっそりと鉱物展示スペースがある(上右)。リニューアルとは言うものの、別に地元の鉱物の種類が増えている訳でもなく、鉱山王国であった新居浜市や西条市の誇る鉱物類も至ってみすぼらしくお粗末である。10年前に国際会議の会場になった施設だから、エクロジャイトはどうか?・・と見て回るも、上中央のような拳大の単斜輝石標本とオンファス輝石が2点、展示されているに過ぎない。おまけに何の説明もない。寄贈者として島根大学の高須先生のお名前が記されているが、これでは申し訳ないような気持ちでいっぱいである。別に総合科学博物館を“目の敵”にしている訳ではないが、本当にやる気があるのか!・・と言いたくもなる。むしろ、もう、なにもしなくてもいいから、以前の県立博物館の標本をそのまま並べてほしいと願うのみである。我々の誇りであった県立博物館の標本は今どこでどうなっているのだろう?一方のニホンカワウソ標本は、県立博物館のものを合わせて10体を越え、以前より多くの剥製がリニューアルを機に並べられたというのに、どうして鉱物や岩石に関してはこんなにも情けないのだろう。生物系の学芸員が多いためであろうか?文部大臣までされたご高名な名誉館長が本当にこれで満足されているのであろうか?・・実に不思議である。第一、開設されて20年が経つのに解説書や標本目録の一冊も入手できないのは明らかに異常である。さらに、せっかくの国際会議の会場になったのだから、エントランスに記念の銘板を埋め込んで大きなエクロジャイト標本のひとつでも展示するのが地元として当然の礼儀とも思われるのだが、それに関するものも見事なくらい何もない!・・・これもまた実に不思議である。・・エクロジャイトも含めて以前の県立博物館の標本を県民の前に全て戻してくれ!!と声を大にして叫びたい。そんな空しさだけを感じながら博物館を後にした次第。
【西条市立郷土博物館】愛媛県西条市明屋敷237−1
西条市の陣屋跡にある郷土博物館。ここの目玉はもちろん市之川鉱山の輝安鉱であるが、同じ田中大祐翁が収集された夥しい鉱物や岩石標本が2階に並べられている。松竹鉱山(新居浜市)の斑銅鉱や別子銅山の自然銅、吹寄せ、鏡肌など古典的な名品も揃っていて愛好家の目を飽きさせることはない。その一角に「榴輝岩」(土居町東赤石山山頂付近)と書かれたエクロジャイト標本が1個だけ展示されている。ごく普通の五良津体の単斜輝石標本で、産地を記したプレートこそ真新しいが、標本自体は古くおそらく田中翁の採集品のひとつであろう。翁が亡くなられたのは昭和31年であるから、少なくともそれよりは古い標本と思われる。エクロジャイトはもともと榴輝岩と呼ばれ、その研究も意外と古い。昭和はじめに、別子山村にアメリカからはるばる地質学者が来て、瀬場のエクロジャイトを採集していった話が、「別子山村史」に載っている。当時は、ヴェゲナーの大陸移動説も学会から嘲笑され忘れられていた時期だけにアメリカ地質学者の炯眼にはつくづく感服する。こうした地道な研究の積み重ねによって、マントル対流やプレートテクトニクスの概念が次第に確立され、戦後、件の大陸移動説が燦然と復活していったのであろう。そうした歴史の重みを感じさせてくれる標本でもある。
【別子山ふるさと館】 愛媛県宇摩郡別子山村甲345
別子山村保土野にある別子の郷土館である。無料の上、食堂が併設されているのでなにかと便利な施設である。鉱物標本は1階に並べられており、エクロジャイトの綺麗な切断標本もある(上 中央)。説明板に、「第6回国際エクロジャイト会議 2001年9月1日〜7日」とあるので、会議のために採集された標本かもしれない。その後ろには瀬場帯のオンファス輝石標本も置かれている。こじんまりとしてはいるが、一応、大きな航空写真とともに、別子山の地質に関しての説明もあって、来訪者の便宜を図っている。保土野のルビーやクサビ石の立派な標本なども一見の価値は充分にあるだろう。銅鉱石もまずまずの標本が展示されており、「銅山石」として“゚”まであるのはほんのご愛敬だろうか?別子山村には、まだまだ立派な銅鉱石を秘蔵している方も多いので、そうした標本を一堂に集めて展示できれば、素晴らしい鉱山博物館にもなれるだろう。今後の発展を期待したい。1階から「鼓銅図録」の大きなパネルが掛けられた明るい階段を降りていくと、階下は別子の民俗や昆虫、植物の標本が整然と展示されている。その中に、住友金属鉱山から寄贈された「歓喜坑修復記念」の大きな文鎮?があったのも印象的であった。
下は、別子ふるさと館から西へ5分ほど車で走った瀬場にある「第6回エクロジャイト国際会議」の記念碑。立派な瀬場帯のエクロジャイトの塊で作られている。碑石の説明板には、「別子山村は地質学と深いかかわりがあります。別子鉱山の銅鉱床はとくに有名ですが、その他にも学術研究上貴重な岩石や鉱物が産出することでも世界的に有名です。地質学上、別子山村全域は三波川変成帯という地質帯に属しています。三波川変成帯は関東山地から中部地方、紀伊半島そして四国を通って九州東部まで、およそ800kmにわたって分布しています。四国中央部では幅が最大30kmに達し、さまざまな岩石が分布しています。海底をつくる固い岩盤(海洋プレート)を構成する岩石や海溝にたまった堆積物が地下深所に引きずり込まれると、高い圧力の下で安定な鉱物からなる変成岩に変化します。別子山村には、地下20〜70kmの深所で形成され、1億年前ころ上昇を開始した変成岩が分布しています。エクロジャイトは地下深所で形成される変成岩のひとつで、赤いざくろ石と緑色の単斜輝石からなる美しい岩石です。この記念碑となっているエクロジャイトは瀬場谷中流域に分布しています。エクロジャイトを詳しくしらべることにより、それが形成された深さやその付近の温度、また、上昇機構などを知ることができるため、学術研究上も大変貴重な岩石です。エクロジャイトの山地である別子山村、土居町および新居浜を会場として、第6回国際エクロジャイト会議が2001年9月1日から7日に企画され、世界中の変成岩研究者が集い研究成果の発表と現地討論が行われました。この会議を機会にエクロジャイトの意義を知るとともに、別子のエクロジャイトをいつまでも保護し、後世に伝えていくことを願ってこの記念碑がつくられました。(以下英文) 第6回国際エクロジャイト会議組織委員会」と記されている。
訪れた当日は雨が降っていたせいもあってか、岩石に含まれる鉄分が流れたような錆色の汚れが目立った。建立されてから10年も経つと石も次第に汚れていくのである。碑石だけでなく国際会議の意義を風化させないためにも、新居浜市の費用で少なくとも1年に一度は表面を清拭して、会議に参加してこの碑を作った人々の願いのように、いつまでも美しく輝かせていただきたいと祈らずにはおられなかった。
以上、いかがだっただろうか?東予において、パネルによる説明やリーフレットを用意して熱心にエクロジャイトの啓蒙を続けている施設は、新居浜市立郷土美術館と暁雨館しかないようだ。会場になった愛媛県総合科学博物館がまったく関心を示さないのはその義務を放棄しているとしか思えない。せめて、2つの施設には今後とも頑張っていただきたいと願うのみである。巷の噂では、いずれ新居浜市郷土美術館の標本を愛媛県総合科学博物館に移行させたいという話があるらしいが、小生は反対である。もう5年にもなるのに元県立博物館の標本を整理展示もせず、簡単な標本目録さえ作成しないような施設に引き取ってもらったところで、標本の辿る行く末は推して知るべし!であろう。それよりも新居浜に散在する貴重な標本を纏めて、新居浜駅前に計画中の美術館に“郷土の誇り”として一堂に展示したほうが標本の輝きも百倍するというものである。別子山村が新居浜と合併して早や10年・・“宇摩郡”という1000年の契りを断ち切ってまで“新居郡”の都市と合併してくれたのに、今も人口減少に歯止めのかからない別子山を、新居浜の“足かせだ”、とか“お荷物だ”という陰口もちらほらと囁かれるようになった。しかし、新居浜の土台を支えた別子銅山からエクロジャイトに至るまで、新居浜の真の宝が別子山にあることを心ある人ならみんな知っている。その宝の一端を、発展する新居浜市のシンボルとなる美術館の中心に据えて高らかに顕彰し感謝することこそ、別子に対する新居浜市民の当然の責務ではないか、とも小生は思うのである。
(島根大学が別子山村のために作成した4頁のリーフレット、今もどこかで入手できるのであろうか?)