近況報告
令和2年卒業 麻生 明里
こんにちは。初めまして。オーボエを吹いていた麻生明里です。私は立命館大学・文学部・地域研究学域に進学しました。地域研究とは地理学や観光学など、ある地域に関することならなんでも文系理系問わず様々な角度から研究できる学問です。1回生はまだ専門的な授業は始まっておらず、高校地理の復習をしています。
私は最近一人暮らしを始め、自由気ままな生活を送っています。今回は近況報告をしたいと思います。
立命館大学文学部は京都にあります。私の家は大学から2キロほどの場所にあります。高校は8キロ離れていたのでうれしい限りです。大学の前期授業はすべてウェブ授業となり、課題とオンライン授業しかやることがありません。私はあまり課題が多くないので、料理やゲーム、資格の勉強など好きなことをして自由気ままに過ごしています。実家で家族分の食事を作っていた時期があったので、ついつい作りすぎてしまいます。
少し歩くと必ず寺や神社に遭遇します。家から歩いていける距離に北野天満宮や二条城があります。京都の街は縦と横の道でできていて碁盤のような街になっています。メインストリートから少し外れるとすぐ住宅街になり、ウナギの問屋と呼ばれる、間口が狭くて奥に長い家屋がぎゅうぎゅうに並んでいます。そんな息苦しい住宅街の中にも立派なお寺や老舗料亭があります。そういうのを見ると今本当に京都にいるんだ〜と思います。京都らしいもの以外にも、ネパール料理屋さんやシーサーの巨大な置物、熊本ラーメンの店など多種多様なお店が並んでいて少し変な感じがします。街を自転車で走り回るだけでとても楽しいです。外に出るのも億劫なときは何時間も地図を眺めています。近所のケーキ屋さんや雑貨屋さんを調べるだけで満足し実際に行ったことはありません。地図が頭に入っているおかげで迷子になりません。
今は遠出が難しい状況ですが想像でならどこにでもいけるので、地図おすすめです。
近況報告以外の何ものにもなれませんでした
令和二年卒業 武田 実怜
お久しぶりですの人も、初めましての人もいると思うので自己紹介から始めたいと思います!令和元年度卒のダブルリードパート・ファゴット担当だった武田実怜です。今年はコロナのおかげで例年にない大学生活の始まりで、困惑することが多々ありました。夏のコンクールもなくなってしまったようで、とても残念です。こればかりは誰にもどうしようもないですが少しやるせないですね。この文章を読んでほんの少しでも気晴らししてもらえたらうれしいです。(多分面白い文章は書けません!先に謝っときます(笑))自分でハードル上げといて何しているんだという感じなんですが、ほんとに書くことがありません!なのでとても個人的な話にはなりますが、最後までお付き合いください。
私はこの春からとある私立大学の獣医学部の学生になりました。大学が関東圏にあるので必然的に引っ越しをしたんですが、都会は人が多い!なんでこんなに人口が密集しているんだというくらいに人が多く、「ああ、田舎っていいな。松山帰りたい…」と思う日々です。大学の授業が始まったのは五月の下旬だったのでそれまでとにかく暇でした。もちろん勉強も少しはしていたんですが、それでも暇だったのでスマホゲームなんかを入れてやったり、アニメを見てたんですね。私は結構何事にもはまりやすいんですが、案の定声優さんにはまってしまって、ここ三か月ほどでめっちゃ詳しくなりました。まあこんなこと何の役にも立たないだろうなと思っていたら、なんと!同じ趣味だね〜って感じで大学の友達ができました。はい、そんなに大したことじゃないです。でもこの状況で友達作りとかできないからボッチ確定だと思っていたので、個人的にはとてもうれしかったことのベスト10くらいには入るんじゃないかと思います。何気ないことが意外と大事だったりするのかなと。いいこと書いたみたいになったあたりで私の話は終わろうと思います。
演奏会には奏者として参加しないつもりですが、聞きに行こうと思っているのでその際に会えたらいいなと思います。読んでいただきありがとうございました!
私と音楽
令和2年卒業 松友 瑠那
はじめましての方もお久しぶりですの方も、こんにちは。卒業生の松友です。
近況報告を書いている方が殆どだと思うのですが、生憎web授業とtwitterに埋もれたような日々を送っておりまして報告するだけの近況がそんなにないので、少し方向を変え過去のことを主にして、私と音楽のかかわりについてといったような話をしていこうと思います。
幼稚園の頃にエレクトーン、小学生でピアノを習っており、小さなコンクールに出たり地元の合唱団に入って活動したりと小さい頃から音楽に親しんでいたので、中学校で吹奏楽部に入るのもほぼ自然な流れでした。楽器はチューバを担当し、マーチングという貴重な経験も積むことができました。しかしその頃の私は練習量=技術量だと本気で思い込んでいる単純馬鹿で、その所為もあって一向に上手くはなれませんでした。私が必死こいて頑張っていたのは音楽というより部活だったという訳です。
高校でやっとそれに気付き、高校の部活ではきちんと音楽をしよう、音楽と向き合おうと決めました。とはいえそれも一筋縄にはいく筈もなく、楽器が変わったこともあり本当に苦労しましたし現に“上手いプレイヤー”にはなれずに終わってしまったと思います。しかし、色々な人に出会って色々な音楽や考え方を知って、自分の音楽に対する姿勢を変えることはできたと思っています。それに何より、辛いことや苦労することがあろうと音楽が楽しい、音楽が好きだと心から言えるようになりました。「音楽無しでは生きてけない」と心の底から叫べるくらいには。
最近では、作曲に手を出し始めました。編曲は高校の時からぼちぼちやっていたのですが自分で一から作るとなるとやはり中々手強いものがありますね。大学では経済面諸々の事情もあり楽器を続けることは断念しなければならないことになってしまいましたが、別の形で音楽とは関わり続けていたいと思っています。
以上、思い出話に長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。それでは私はこのへんで。
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