先日、自分の経歴を書く必要があり、今までに何冊本を出したのか数えてみると、単著と編著合わせて12冊、依頼されて書いたものを合計すると16冊だった。プロの作家と比べればお話にならないほど少ないにもかかわらず、40年間、出版に携わりながらなんとか生活できたのは、名前が載らないさまざまな仕事や、編集のみで関わった本がかなりの数に上ったからだろう。
何年か前、ライターを志望する若い人たちの前で話をする機会があり、書く仕事を続けるには本をたくさん読んで語彙(ごい)を増やし、どんな小さな仕事でも手を抜かなければ、仕事が仕事を呼んできてくれる、と言ったことがあった。むろん、駆け出しのころ大して巧くもなかった私に辛抱強く書く場を与え続けてくれた人たちがいたから、こういうエラソーなことが言えるわけで、今も何人かの顔を思い浮かべながらこの文を書いているのだが、実感としてはそういうことだった。
私が東京から松山に帰郷したころ、文章を書いて生活していたのは、新聞社などマスコミの人か、数人のコピーライターしかいなかった。コピーライターは広告文を書く人、フリーライターは1社の専属ではなく、いろいろな媒体に文を書く人のことだから厳密に言えば違うのだが、地方ではその区別が曖昧で、フリーライターのつもりだった私も、観光関係や自治体の刊行物、企業の会社案内など広報的な仕事をせざるを得なかった。もとが文学少女だった私はそれに抵抗があり、早くこういう状況から脱したいと思っていたが、出版の仕事をするようになってから、そのころの経験が役立っていることに気付いた。本には、俗に「腰巻き」という帯が付くのだが、それは内容やテーマを簡潔に訴える、もっと言えば、書店に並ぶたくさんの本の中から手に取ってもらうための宣伝文である。
私が最初に出した本は『兵頭(ひょうどう)精(ただし)、空を飛びます!』という日本初の女性パイロットの評伝だったのだが、その帯に「青春は、飛行機に捧げました」と書いたところ、あのキャッチコピーはいいねえとたくさんの人がほめてくれた。どうやら人生に無駄はないらしい。(2012.10.12掲載) |